赤黒い液体が、便所の個室いっぱいに詰まっていた。地面から天井まで、溢れることなく、そいつは垂直に、便所の個室にギュウギュウに詰まっていた。異様な光景だった。おれの頭はぶっ飛んでしまったに違いない。踵を返そうとしたが、意志に反して、足はその個室に向かっていた。
おい、冗談だろ、やめろ。
ふざけた状況だった。クスリはパクられた。待ち人は来ない。取引先はカンカンだ。そんで、おれは今にも訳の分からない液体に飛び込もうとしてやがる。最悪だ。何度瞼を開け閉めしても、目の前を真っ赤な液体が蠢いている。突然、液体の中から、男の声がした。
--エディー。
おれの待ち人の名前だった。瞬間的に、頭の奥の方で、炎が燃え上がったのを感じた。おれの身体は、ニチャ、と何かを踏みしめてから、液体に向けて跳ねあがった。
おい、マジか。
十五の時から、ここで踊ってた。オーナーも、マスターも、木っ端の店員に至るまで、全てがおれのダチだった。それが最近じゃ、わけのわからない外人連中に呑み込まれて、すっかりおれは邪魔者扱いだった。いつからだ? いつからこんな仕打ちを受けるようになった? スタウトの瓶を片手にグルリと、ゆっくりと地面を踏みしめるように店内を周りながら考えた。七十を超えたからか? だが、おれはてんで衰えちゃいなかった。寧ろ、これ以上はないってくらい、研ぎ澄まされてさえいた。日毎、踊りの質が、どんどんサエ渡っていくのを感じていた。人生で一番と言ってもよかった。
「おい、タナカのじーさん、またいるのかよ」
ああ、死んでもいるとも。そう返して、音楽が切り替わる瞬間を待った。
ーーどうせ、おれはもうココ以外どこにも行けやしない。
女房もガキも死んだ身だ。毎晩踊り狂おうが、誰も困らない。地縛霊になってでも、踊り続けてやる。その時、大きな音を立てて、入口のドアが開いた。瞳孔の開いた男が、荒い呼吸音を立てて飛び込んで来た。
「どけジジイ!」
どんっ、と肩でぶつかられて、手にしていたスタウトのビンが床に落ちた。幸い割れることはなかったが、中身を余すことなく撒き散らしながら、フロアの隅まで転がっていった。