小説

『ハタチの覚醒』中杉誠志【「20」にまつわる物語】

 一九四〇年生まれのばあちゃんの人生は、年表にするとめちゃくちゃ覚えやすい。
 一九四五年、五才で終戦を迎える。
 一九六〇年に成人して、
 一九七〇年に三十才で結婚。同年、わたしの父親を産む。
 二〇〇〇年にそれまで技師として勤めていた通信サービス大手を定年前に自主退職。以後、同年に生まれた孫の子守を引き受ける。
 二〇二〇年、つまり今年、米寿を迎えた。
 八十才のババアだと、あなどるなかれ。スマホもタブレット端末もバリバリ使いこなし、SNSは一日十回近く更新。挙げ句の果てには、退職後から学んだプログラミング言語を駆使してスマホ用のアプリケーションを作るというハイテクっぷり。小学校では最近ようやくプログラミングが必修科目になったというのに、ばあちゃんは時代の最先端を突っ走っている。膝が悪いからリアルには突っ走れないんだけど、頭の中では大陸間弾道弾もかくやというスピードを出しているにちがいない。わたしが昔からおばあちゃんっ子っていうこともあるけれど、ばあちゃんはわたしの誇りだ。
 ただ、そんなハイテクばあちゃんにも困ったところがあって、それが虚言癖。
 たとえば、ばあちゃんは、まだ「女が大学に行くなんて」なんていわれてた時代、ハタチの頃にべらぼうに勉強したおかげで、そのへんの男じゃ入れないような一流の大学に入ったという。だが、そのべらぼうが度をこしている。なんと、一年間で合計すると一万時間くらい勉強したというのだ。
 いうまでもなく、一日は二十四時間しかないし、一年に一日は三百六十五回しかない。二十四時間かける三百六十五回で、八千七百六十時間。物理的にムリじゃん!
 さすがにボケてるんじゃないかと心配になって、問い詰めてみた。自宅の庭の桜の木の蕾が、ふっくらと膨らみ始めた春先の、うららかなある日の午後のことだ。
「ばあちゃん、一年に一万時間勉強するのはムリだよ」
「まあ、普通に考えたらそうよね」とばあちゃんは意味深なことをいって笑うばかり。それから、ふと神妙な顔つきになって、みょうなことをいう。「そういえば、あんた今年ハタチよね?」
「そうだよ。それがどうかしたの?」
「ううん」
 ばあちゃんはそれ以来、虚言を吐かなくなった。

 そんなばあちゃんが体調を崩して入院したのが、五月。東京オリンピックだけは見て死にたいっていってたのに、それほど長くは持たないらしい。

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