小説

『魔鏡譚』蟻目柊司(『ドリアン・グレイの肖像』オスカー・ワイルド)

 彼女は手を下ろし、指輪を外した。
――同じ宿命を背負った者の一人であるあなたに、頼みたいことがあるの。
「背負った者の一人って、僕ら以外にもいるのか?」
――五人、私はこの地獄へ引きずり込んでしまった。あの安藤中佐も、そのうちの一人よ。
「中佐が?」
――でもあの者は、少しずつ消えていくかもしれない。金属や鉱石のようには、確かなかたちを持たぬ形代を与えてあるもの。
 ヴァシリーサは私のそばへ歩み寄ってきて、指輪を差し出しました。
――お願い。その翡翠の指輪を、砕いて。
「馬鹿言うな!」
 僕は叫び、指輪を突き返そうとしました。
――あなたになら分かるはずよ。お願い、終わらせて。
 そう言って僕を見つめる彼女の瞳を目の当たりにすると、どうしても拒めませんでした。彼女の苦しみが痛いほどに分かってしまったのです。
――私を殺して。
 蘇州河の暗い水面に月影が写り揺らめいています。一隻の小舟が横切ると、月影は散り散りになって星屑のように煌きました。

「それで、どうしたんだ?」
 頭を抱えてうずくまった青年の肩を揺さぶり、私は話を続けるよう急かした。
 青年は荒い息をして震えていた。
 私はバーテンダーに声をかけ、水をくれるよう頼んだ。
 青年の体を起こしてグラスを渡してやると、彼はそれを一息に飲み干した。青年の顔は血の気を失って土気色をしていた。
「君、大丈夫か?」
 青年は何度か深呼吸をすると、かすれた声で答えた。
「僕は、指輪を砕きました」
 私は息を呑んだ。
「すみません。その後を思い出すと、あまりにも、おぞましくて」
「ヴァシリーサは死んだのか?」
「あんなものを死と呼び得るなら、死にました」
「そうか」
 私たちの間にしばらくの沈黙が流れた。
「それで、君はどうやって日本に帰ってきたんだ?」

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