小説

『魔鏡譚』蟻目柊司(『ドリアン・グレイの肖像』オスカー・ワイルド)

 再び私の隣に腰を下ろし、残っていたウォッカを飲み干すと、青年は語り始めた。

 僕の生まれたのは大正十一年。ソ連が成立した年です。
 ああ、申し遅れましたが、灰島と申します。東北の農村で畑を耕して暮らしていましたが、戦争が始まると兵隊にとられました。それからは戦地を転々とし、色々とひどい目にもあい、それでも、どうにか生き延びていました。人生が妙な具合に歪み始めたのは、満州にいた頃のことです。
 私は満州で軍用馬を管理する部隊にいました。部隊には軍医も沢山いて、動物の感染症の研究なんかもしていたそうですが、僕はもっぱら餌やりやら糞の片付けやらで、故郷で野良仕事をしていた頃とさして変わり映えのしない日々を送っていました。
 ところがある日、我々の隊が別の部隊へ組み込まれることが通達され、途端に隊内には騒然とした空気が漂いました。その部隊というのが、妙な噂のある部隊だったからです。
 細菌兵器を開発しているだとか、人体実験を繰り返しているだとか、それはそれはひどく恐ろしげな噂でした。
 数日を経ずして僕たちはハルビンへの行軍を命ぜられ、そこで例の部隊と合流しました。僕の属する班は安藤中佐という方の指揮下に入りました。
 ハルビンに移ってから半月ほどが過ぎたある午後、僕は中佐の執務室へ呼ばれました。
 執務室の立派な扉を開けて中に入ると、そこは夥しい量の本で溢れかえっていました。それも、『新式神通力原理応用』だとか『感応術及催眠術要訣』、『千里眼ノ実験ト其用法』といった、怪しげな書物ばかりです。何に使うとも知れない奇妙な器具があちこちに散らばり、無数の見慣れない図形が壁に書きなぐられ、焼香か何かのような独特な臭いのする煙が充満した、ひどく異様な空間でした。
 卓上にうずたかく積まれた本の合間から、安藤中佐の顔が見えました。黒縁の丸眼鏡の奥、異様に血走った眼は大きく見開かれ、四十歳前後のはずなのに髪は真っ白で、何やらぶつぶつと独り呟いては首を傾げていました。
「灰島一等兵、参りました」
 僕が敬礼すると、中佐は驚いたように私を睨みました。そして胸のポケットからマッチ箱を取り出すと、中身は何本だ、と出し抜けに問いました。
「自分には、分かり兼ねます」
 そう答える僕を侮蔑するように見ながら、中佐はマッチを一本取り出し、官給品の煙草ではない何やら上等そうなそれに火を点じました。
「いいか。私の任務は、マッチ箱を開けることなく中身の本数を当てることのできる、例えばそういった兵卒を創り上げることにある」
 にわかには信じがたいことですが、この部隊の研究対象には、いわゆる超能力も含まれていました。
「内地にいながらにして敵の位置を知り、銃を持つことなく敵兵を殲滅せしむるにあたうならば、もはや皇軍の血は流れん。そうだろう」
「仰る通りであります」

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10