「日本?」
「いやだから、ここに、いるじゃないか」
青年は怪訝そうな顔で私を見た。
ここは日本じゃないのか?
なら私は、どこにいるんだ。どこから来たんだ。
「ひとつお聞きしてもいいですか?」
一体、私はいつからここにいるんだろう。
「何なんですか? 確かなかたちを持たぬ形代って」
私には質問の意図が分からなかった。
「まだ思い出されませんか、中佐殿」
中佐?
「七十三年振りですが、見間違えたりはしませんよ。姿かたちはお変わりないんですから」
私は誰だ。
木製の手枷。指先から滴る血。美しい白人の少女が、ウイスキーの小瓶の中に落とす血の雫。紅い、血の雫。
「私は知らんよ」
ロシア語で囁かれる呪文。少女の澄んだ声。青く澄んだ瞳。よせ思い出したくない。
「悪いが気分がよくない。帰らせてくれ」
少女が何か言っている。いや聞こえてくる。頭の中に直接語りかけてくる。
――この琥珀色の液体は、悠久の時の流れの中で少しずつ揮発し、やがてあなたは自らを失い始めるわ。自らの心、自らの身体、自らの魂が、次第に不確かになっていくのよ。曖昧になっていく。それは霧のように。靄のように。そしていずれ……
「止めてくれ!」
気が付くと私は、独り路地裏に立っていた。
切れかけた街灯が明滅して足元を照らす。
胸のポケットにはウイスキーの小瓶が入っている。私はその年代物の小瓶を高く掲げ、街灯の光にかざした。地面に瓶のかたちの影ができ、その内側は揺らいでいる。手が震え始めて揺らぎはより激しくなるが、少しずつ像を結んでいくように見える。街灯が消えてまた灯る度に、それは少しずつはっきりしていく。
点滅。
人の姿がおぼろげに、
点滅。
崩れかけた頭蓋骨が、
点滅。
「ば、馬鹿馬鹿しい!」
私は小瓶の口に詰められたコルクを引き抜くと、口に当てがって固く目を閉じ、中のウイスキーを残らず一息に飲み干し
点滅。