さらに数日後、芙蓉は柄杓(ひしゃく)に汲んだ水をほんの少し、酒樽に入れた。その晩の酒の美味しかった事! 白く濁っていた酒が水のように透き通っているのである。
以来、二人は毎晩酒を飲みながら色んな話をするのが日課になった。不思議な酒で、ほんのりと気持ち良くなり、それが続くだけで、酔っぱらう事がない。それにいくら飲んでも樽の酒は減らないのである。
助左は相変わらず美しい芙蓉に見とれながら話しているのだが、表情が豊かだから見ていて飽きないし、助左が知らない話を色々してくれる。助左も嬉しくなって泥棒の仕方など、口が裂けても言ってはならない事まで話してしまうが、芙蓉はいつも面白そうな顔で静かに笑って聞いている。
芙蓉と暮らし始めた頃、忍び込んで行って跳ね飛ばされたビリビリ以来、助左はそういう真似はしなくなり、今では仲の良い兄(きょう)妹(だい)のようなものだが、芙蓉の神通力のおかげで毎日の暮らしは快適そのものだ。たまに鳥を獲って食料にするくらいで、盗人旅にも出かけない。水汲みだけでなく、小屋の修理など助左は何かと芙蓉に負担を掛けないように立ち働く。もちろん、芙蓉の気持ちをいつも推し測って機嫌が悪くならないようにしているが、まあ、座敷に飾った置物のように芙蓉の美貌を愛(め)でて楽しんでいるのが仕事のようなものだ。
しかし、助左は何か物足りない気持ちが時々湧いて来るのである。塵(ちり)一つなく掃除してくれ、洗濯も料理も裁縫も手際よくこなしてくれても、それは芙蓉の神通力のせいだと思うと感謝の気持ちも格別湧いて来ない。「まあ、こんなものだろうな」と思うだけである。
例のビリビリのせいで芙蓉を抱けないからではない。気品が高すぎるのか、色気を感じないのである。いちばん問題なのは、何か「ジーン」と胸を締め付けられる恋心のようなものが湧いて来ないのである。やはり天女と人間の壁は越えられないのかもしれない。それだけに今の助左には二人で晩酌しながら語り合うのが唯一の楽しみになっているが、芙蓉にはそうした助左の気持ちは伝わっていないようだ。
やがて秋が来て霜の降りる時分になった。でも、芙蓉が神通力で囲炉裏の火が消えないようにしてくれているから、一日中家の中は春のように暖かい。
ある晩、芙蓉が「竹取の話」をしてくれた。と言うより、空(そら)で憶えている物語を声に出して読んでくれたようなものである。かぐや姫と言い、神兵と言い、まるで芙蓉が助左の許(もと)に天から降りて来た話みたいである。
聞き終わった助左が首をかしげた。
「でもよ、腑(ふ)に落ちねえところがいくつかあるぜ。赤ん坊は竹の中から出て来たって話だが、竹を切る時に赤ん坊を切っちまったら大変じゃねえか。ま、そりゃ昔話だからいいとしてもよ、かぐや姫はそこにいるだけで辺りが明るくなるほど身体が光っていたんだろ? 芙蓉、お前も天女なのにどうしてそこが違うんだい?」
「おほほ。かぐや姫は蛍の薬を飲んでいたのでしょうね。聞いた事がありますわ。何でも蛍の精を集めて天界の薬草と混ぜた薬だとか。それを一口飲むと十日のあいだ、地上の十年間は体が光に包まれたようになるんですって」
「なるほどなあ。でもよ、一番気に入らないのはかぐや姫のやり口だい」