母は、一生に一度ぐらいは子を産んでみたいと思っていた。そしてどういう根拠かわからないけれど、人間はきっとやさしいから、自分が産み落としたちいさないのちを、きっと育ててくれるに違いないと。
その後、母はいのちをかけてわたしを産んだあと、じぶんのいのちも海に落としてしまった。そしてわたしは、拾われたのだ。からだとこころ、もろとも太郎に。
すっごく不安定な形の細すぎる脚を持った建築物が入江に建っている。
砂浜には、扉を閉める時に確かなカチッと振動が指先にまで伝わってくるような重厚な造りにみえる黒いポストだけが存在感を示しているような。
その砂浜につづく桟橋を通ると、玄関へとたどりつく。
すべてがあやふやな空気につつまれている。ここが太郎の住んでいる家だった。はじめてそこをわたしが観た時、ずっとどこかちがう時間へと紛れ込んでしまったみたいで、気に入った。
海の上に紙でできた建造物が建っているようなアンバランスなその家は、むかし女の人が棲んでいたらしい。
ブリのエラを水を張ったボール中でゆすぎながら洗う長い指がときどき、もてあましているように見える。
「ちっちゃい頃、泥に足つっこんだりするのってなんとなくせくしゃるな気持ちになってね。この行為も似てる気がする」って太郎が魚をあしらいながら、喋りかけてくる。太郎の手の中で洗われている、ブリの赤みが左右に揺れる。目に飛び込んでくる血の色は、水で薄められて流し台の傾斜を伝わって流れてゆく。
キッチンペーパーで水気を吸い取ると、まな板の上に乗せられる。
太郎の背中越しにその様子を見ていた。
その後、ブリと大根で煮付けを作るプロセスはどうでもよくて、火を通される前のブリが彼の指や掌にあったときのことばかりを、繰り返し頭の中で再生していた。
太郎は漁師だったから魚を捌くのは得意で、よく台所に立った。
「おるふぁん、テーブルの上を片付けておいて」
わたしは、太郎と暮らすようになってからおるふぁんと呼ばれていた。
それは、みなしごといういう意味らしかったけれど、わたしを呼ぶとき太郎の唇がおるふぁんと動くときの形が好きで、気に入っていた。
さっきまで、紙にでたらめに描いていた数枚のらくがきとクーピーくれよんを片付け始めた。
ダイニングテーブルにお皿を用意した。人間はお皿の上にあるものを食べるらしいことを覚えた。
こぼれ種のせいなのか、ポストのそばにいつからか花が咲くようになった。