小説

『ハンス・フォン・カメ男爵とぼく』おおぬまいくこ(『浦島太郎』)

 いつものぼくなら、なんだよーと口ごたえするところなんだけど、なんだか、そばでなおこお姉さんに見られているような気がして、叩かれた手をさすって黙ってしまった。

 なおこお姉さんの家は、町で一番大きい。まるで映画に出てくるようなお屋敷で、門には屋根までついている。となりのぼくんちとは比べものにならない。お姫様のようななおこお姉さんは、住んでいる家までお城のようだった。
「こっちよ」
 案内されて中庭の方にまわってみると、芝生の真ん中にいたのは、なんとカメだった。
「ね、おどろいたでしょう。二週間前、突然、うちにやってきたのよ。びっくりしたわよ、このカメがゆうゆうとうちの家の池でコイといっしょに泳いでいたんだもの。砂浜から、ここまで這ってきたのかしらね」
 それにしても大きな海ガメだった。ちびのぼくなら乗ってもびくともしないだろう。
「名前はね、ハンス・フォン・カメ男爵っていうのよ」
「え、なに?」
「ハンス・フォン・カメ男爵よ。だって甲羅の感じが男爵が乗るような黒塗りの高級車のようじゃない? だから、カメ男爵。ハンス・フォンというのは、前に読んだ、本の中に出てきた大食いの男の名前よ。このカメ男爵もすごい食いしん坊よ、パンなんて二、三枚あっという間にたべちゃうのよ」
「パンを食べさせてるの? ダメだよ、カメはもともと肉食なんだから」
「あぁら、マサキちゃんは物知りね。やっぱりいつも図書館でたくさん本を読んでいるひとは違うわねぇ」
 なおこお姉さんが、とても感心しているので、ぼくは胸の中の風船がぷわっとふくらんだような気がした。でも、なんでもない顔をして、
「あ、だけど、カメはだいたいのものはたべられるんだ」
 とつけ足した。
 カメの頭をちょんちょんとつついているなおこお姉さんの爪は、ほんのりとピンク色で桜貝に似ていた。
 カメは、首をちぢめるでもなく、されるままになっていた。ぼくは、その指先をぼーっと見ていた。

 図書館で、たくさん本を読んでいるのには、わけがある。
 ぼくは、大きくなったら、漁師ではなく、考古学者になりたいと思っている。そのためには、まずいろんなことを知っておかなくちゃ。

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