小説

『ハンス・フォン・カメ男爵とぼく』おおぬまいくこ(『浦島太郎』)

 カメ男爵は、そのまま目を開かなかった。ぼくも何も言わなかった。ぼくは、カメ男爵になんだか悪いことをしてしまったかな、と思えてきた。
 君はどれくらいの間、乙姫さまを捜し続けていたんだい? 
 君はいったいどれくらいの間、生きているんだい? という言葉を飲み込んだ。

 翌日のことである。
 図書館から帰る途中、いつものように防波堤の上をやじろべえのように歩いていると、なおこお姉さんに呼びとめられた。
「マサキちゃん、カメね、カメ見当たらなくなってしまったの……。うちの居心地がよくなかったのかしら。やっぱりパンではなく、ハムにすればよかったのかしら?」
 ぼくだ。ぼくのせいだ。
「カメが見あたらなくなると、その家に悲しいことが起るっていうでしょ」
 と、なおこお姉さんは心配そうに言った。
 やっぱり、あのカメ男爵は、龍宮城のカメだったんだ。本物の〝男爵〟だったんだ。
 ぼくは、心の中でカメ男爵にごめんと言った。そして、
「なおこお姉さん、カメってね、冬眠するんだよ。だから心配いらないよ」
 と言った。
「そうなの。じゃあ、桜の咲く頃にまたどこからか、ひょっこり出てくるかもしれないのね」
 と、なおこお姉さんは微笑んだ。するとぼくの口から、ひとりでに言葉が出てきた。
「なおこお姉さん、ぼくね、ぼく、大きくなったら、考古学者になりたいんだ。そいでね、シュリーマンみたいに古代の遺跡を発掘したいと思ってるんだ。そいで、そいでね、龍宮城跡を見つけようと思っているんだ。もし、見つかったら……もし、見つかったら……」
 そこで、言葉は止まってしまった。
 なおこお姉さんは目を丸くしてから、
「すごいわ。マサキちゃんなら、きっとやれる。うん、きっとやれるわよ」
 と言った。感心しているなおこお姉さんをおいて、ぼくは自分の家にかけ込み、玄関の戸をぴしゃっと閉めた。大きく息を吸い込んでそれから、あ、と思った。あのままカメ男爵のあとをつけて行っていたなら、念願の龍宮城跡にたどりつけたかもしれなかったなぁ。

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