小説

『クリとネズミとタイガーと』柏原克行(『金の斧』)

「ああ知っておったさ。ワシも嘗てそこに名を連ねておったからな。今のお前さんと同じ様に。あの子も…イズミもそうだ。」
 根津はポケットからタバコを取り出すと火を点け、煙を勢いよく吐いて見せた。
 そしてタバコのケースを差し出し大我にも吸うかと無言で尋ねた。
「いいんですか、オフィス内で?」
「構いやせんよ。元々、不良社員の喫煙スペースにも使われとった倉庫兼給湯室なんじゃし。」
「では一本頂きます。」
 根津の持っていた缶コーヒーの空き缶を灰皿代わりにして二人は無言のまま一服した。大我のタバコの火が口元のフィルター付近まで近づいたところで漸く根津が口を開いた。
「ワシはな…自分で自分を切ることが出来んかった。」
「そんな事、簡単に出来ることじゃない。」
「自分を残して他のヤツを切った。」
「それが認められていた権限なのだから、別に責任を感じる必要は…。」
「今でもふと思う事がある。あの選択は正しかったのかと。」
「それを言い出したら…。」
「自分としては正直に応えたつもりだった。会社を辞めたくない。それだけの純粋な気持ちに正直に応えた。だがワシは長い間、この手で切られた奴より価値のある人間だったのだろうかと思い悩んだよ。その答えは未だ出とらんがな。」
「課長の決断が間違っていたかどうかなんて誰も…。」
 それ以上は言葉に出来なかった。他人の本当の価値は他人が推し量ることは出来ない。まして候補者達の社内評価に大きな差異は無いのだ。そんな中で如何に何らかの私的な理由をこじ付けたところで本当の価値の違いなど見えはしない。真にその判断が下せるとすれば、それこそ神仏の様な超越的な存在でしかないだろう。
「あの時、ワシが切った奴らは価値の無い者ではなく、将来的にキラキラと輝く存在であったかもしれない。あの時のワシの間違った判断で会社に大きな損害を与えたかもしれんな。残ったワシはこの会社に大した貢献も出来ず、会社を離れることも出来ずで只、のうのうと年老いてゆくだけだったというのに。」
「だとしたら…その人達は例え余所に移っても輝ける筈ですよ。多分…。」
「そうだと良いがな。そうであったならどれだけ気が楽か。で、お前さんはどうするつもりだ?」
「正直…他人の本当の価値なんて分かりません。でも自分の価値ならなんとなく分かるかな…。だから…正直に生きますよ。いや生きたい!」

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