小説

『滅びない布の話』入江巽(ゴーゴリ『外套』)

「かまわん」
「ですか」
 ええよええよ、じいさんの声聞いて、俺、その布に触れた。
 かたかった。パリッ、としてた。とても理想的な、指が予想した硬さよりはるかに思う通りのもので、あらかじめの想像なんて脳みその貧しさの証明だと思うくらい、探していた感じがした。あんまりやさしくなそうな、この布、絶対いい。
「スーツ一着分、この布、もらいたいんですが」、告げれば、えっ、もう他の見んでええの、「はい」、ほんなら包むわ、じいさん言うて、二万五千円だった。それがぼられた値段なのか、得した値段なのか、俺は生地を買うのがはじめてで、好きだけど詳しいわけでもないからわからなかったが、ひどく安い買い物をしたような気分でホクホクと御堂筋線本町駅へ歩き、いい気分で部屋まで帰った。
 すぐにでも、このぺたんこな布、やまびこ洋服店に持ち込んで、立体的な命、吹き込んでやりたいと思ったが、去年十二月に出たばかりの冬のボーナス、ふたつきぶん四十八万円、もらってすぐにオーダーした二着のスーツの払い、しめて三十五万ほど、手付で入れた十五万ひいて手許に残った二十万のほか、なんやかんやと使ってしまっていて、二週間後にはその二着が上がってくるので二十万も消えていくのだから、すぐにはオーダーできなかった。
 自分が生真面目だと思ったことはないが、酒もひとりではほとんど飲まないし、女も買わないし、ギャンブルもせず、食い物だってから揚げとツナサンドがすきな子供舌、スーツのほかの楽しみと言えば渋めのソウルがかかるクラブで躍るくらいで、それもDJやってる街場でできた友達たちとは違い、オリジナル盤のレコード買ったりしないから、ほかにかかる金、そんなに無く、住んでる庄内の部屋もごく狭い八畳のボロで家賃四万一千円、島田工務店は家賃補助が二万出るし、そう暮しがきついわけじゃない。
 よし炎の倹約や、俺は思い、飯を一日二回に減らしたり、その食事も豆腐三丁食うだけとか具なし焼きそば大盛り食うだけとか無茶をしたりしたら、案外と一着のスーツの手付に必要な十万くらいはすぐできて、そうしてオーダーに行ったのがひと月前、冬の名残りが消えていく三月の終わりだった。
 持ち込みの生地で、言うて木村さんに頼んで見たら、すこし嫌な顔されたが、それまでに五度、スーツをつくり、二年のあいだに百万近く払っていた客だからか、ほんまは断るんですよ? 、持ち込み料すこしもらいますがかまいませんか、ほんで中塚さん、どんなん持ってきはったの、これなんですわ、見せたら、カッターの山下のおじいさんを木村さん呼んできて、ふたりいっしょに生地見はじめ、えらい古いドーメルやな、まあ状態はわるないな、七十年代のやろな、木村くん最近ほとんどドット地、見いひんけどむかしはたまにあったんや、打ち込みもごついし、中塚さんいっつもつくらはる、細めの変形ブリティッシュでええ感じなる思いますわ、話はわりとスムーズで、三つボタンの段返り、ゴージ位置高めのノッチド、台場仕立て、バルカポケット、本切羽、浅めのサイドベンツ、チェンジポケットあり、くるみボタン、パンツはややフレア、ジャケットの袖も絞りをつけてフレア、裏地はすこしイキってドットの色と合わせた白、とだいたいいつも通りの仕様で決めていった。

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