小説

『滅びない布の話』入江巽(ゴーゴリ『外套』)

 晴れた土曜日、阪急庄内駅近くの自分の部屋で九時に起きたときから気持ちはフンワリと元気で、トーストしたパンでツナサンドをつくって食べたとき、よく焼けたパンの耳、前歯でカシュリとかじる香ばしさ、それだけで幸福な気持ちになって、冷たい牛乳も官能的においしく、クイクイ飲んで全能感覚え、ツナサンド、マーベルヒーロー・アイアンマン(の中身のひと)のすきな食べ物だから、噛むたびにたくましくなっていくような気がした。まかせとけ、独り言が出た。アイアンマンが着ているのはとっても強い鋼鉄のスーツ、俺が今日受け取るのはきっとすばらしい布のスーツ、人生いろいろスーツもいろいろ、お互いがんばって生きるのだ。
 朝から華やいだ気持ちのまま、鉄アレイ握りフンフンと筋トレ、寝起きの身体にちからが行き渡るようでいい気持ち、今日はスーツを受け取って、それ身につけて踊りに行きたい。心斎橋の堀江寄り、クラブ・チェルシーで第四土曜日の今夜はスリック・チックがある日、イベント名の由来、主催のタカハマさんに確かめたことないけどたぶんヴァ―ノン・ハレルの同じ名前の曲だろう。休みの朝の気楽さのどかさ、とっぷり淹れた三杯分のコーヒーおさめたガラスのサーバー、なんとなく床にあぐらかいた股に抱えてみたら、その底はまるくなめらか、暖かくて女の尻みたいと思う。ゆうがたスーツ引き取ってそれから今夜はスリック・チックで踊る、そう思ったら、いつものようにリズム・アンド・ブルースやファンキー・ソウル聴いて、やすみの午前とはやい午後を過ごしたくなり、アイフォン、スピーカーに繋ぎランダム再生させる。すぐに跳びはねるようなベース響き、わ、と思う。二千を超える曲入っているのに、いきなりかかった曲は「スリック・チック」、なんだかできすぎている感じ、ひとりちょっと踊り、そういやスリック・チックってどういう意味やろと気になり、高校出てからこういう用途でしかもう使わない紙のルミナス英和辞典、さらさらひくと、スリック、意味、なめらか、スリック・チック、意味、米俗語、若くてかわいい女性、と出ており、確かにヴァ―ノン・ハレルの歌声、女への野卑な欲望がこもっているようにも思え、なるほどよい学問した、思う。
 二時半までダラダラ過ごし、シャワー浴び、仕事のある日は絶対につけない香水、ラルティザン・パフュームのタンブクトゥ、どこか遠い街の砂埃のように不思議な香り、首にすりこんだ。ゆったり髪にドライヤーあて、櫛をいれ、グリースつけてポンパドールをつくっていく。スーツ着るとき、踊るとき、俺はこの二年くらい、ポンパドールにする。サイドのないポンパドールのほうがかっこいい気がして、やや浅めのツーブロックも入れてある。俺の髪の毛はディランほどではないくせ毛、ポンパドールがすこしづつ崩れていくさま、色気あるわと言ってくれた女の子がいて、自分でもなんだかそんな気がしているいまは、わりと自分の髪の毛、気にいってる。
 とはいえ躍るまでひとまずポンパドールを崩したくないから、かぶるタイプの服じゃなく、とめるタイプの服をきて、スーツ引き取るための金と夜遊びの金、あわせて十万円、リーバイスのポケットにねじ込み、クロケット・アンド・ジョーンズの茶と白のコンビ、革底の靴はいて、うちを出た。

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