小説

『滅びない布の話』入江巽(ゴーゴリ『外套』)

 「こんな感じにさせてもらいましたわ」、木村さん言い、見せてくれるスーツ、近目で見れば、それはさらにいいスーツに見え、春が布のかたちになってここにあるような気がした。

 俺は今回、はじめて生地、持ち込んでいる。何度かやまびこでオーダーするうち、どうしても五十年代、六十年代、七十年代くらいのヴィンテージ生地でスーツをつくりたいという思い、強くなっていき、それは俺のすきなリズム・アンド・ブルースやソウルのミュージシャンが着ていたような布でつくってみたいという思いが強くなっていったということなのだが、もっと直接な感覚は、現行の生地はどれもこれもなめらかすぎる、柔らかすぎる、ということだった。発色その他の感じで言えば、カノニコの生地が割とすきだったが、最初は酔うほどに興奮したやまびこの縫製やシルエットに慣れていけば、生地そのものがどこか物足りないような気がしてきた。このこと木村さんに、もっとこうガサガサいうかバリバリいうか噛みごたえあるいうかそういう感触の生地ありませんか、聞いたら、カノニコみたいにイタリア生地じゃなくイギリス生地すすめられ、スキャバルその他も試し、もちろん気にいらぬでもなく、スーツが仕立てあがるときの気分はいつでもうれしいし、フィットや仕様は作るたびに細かい修正いれていき、思うスーツに近いものを手にいれられてはいたのだが、一方で、生地そのものに対する小さな不満が徐々に澱のようにたまっていくのだった。だから俺、個人の客にも売ってくれる生地問屋を探しては、古いデッドストックの生地を一年前くらいからけっこう見てまわっていた。ヴィンテージの生地はまずそういうものを扱っているかどうかから問屋に聞いてまわらんとあかんし、季節ごとに入荷するわけでもない。落とす金も微々たる個人、ただ尋ねるだけで嫌がられたこともあった。
 けれど大阪は食いだおれの街などではなく、ほんとうは布の街、どんなものだってそうだけどあるところにはあるもので、ことしの一月、船場センタービルの中の本当に小さな問屋のじいさんに訊いたら、古い生地なあ、まあちょっとはあるで、しばらくゴソゴソしたあと、何種類か束を抱えてきてくれた。他の問屋でももうそれなりに見せてもらってきていたが、これと思うような生地にはまだ出会わぬ俺に、じいさんが一番最初に広げてくれた生地、それが今日のスーツの生地で、一目見たときに、これや、思った。
 それはかなり珍しい生地に俺には思えた。おそらくは織りの具合からいって七十年代はじめやろな、じいさん言い、ミルの名前書いたタグ見ると、フランス、ドーメルのものだった。柄がまず珍しかった。深い紺地に、白い小さ目なピンドット、つまり水玉を散らした生地で、チェックやストライプはスーツ地にオーソドックスやけど、ドットが散らしてある生地なんて、見たのはじめてだった。水玉といったって、そこまで下品な大きさの水玉じゃなく、遠目にはよくわからなくて、親しく声が届くような距離、そのときはじめて水玉が散らしてあることがわかるようなものだった。水玉がもうすこし大きくても、水玉がもうすこし小さくても崩れる、とてもよいバランスで水玉散らしてあるように思い、じっと見つめた。それはとても上品にも、とても尖っているようにも見える布だった。紺と白、この組み合わせはもともとすきなのだが、水玉、この手があったか思い、半ばもうほかの生地は見なくてよい氣になりながら、
「揉んでも」

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