小説

『飼育』植木天洋(『人魚姫』)

 いや彼女の下半身が魚だからどうだとかそういうことじゃなくて、とにかく、なんというか―—彼女の全体的な印象があくまで動物、いや、魚? 
 とにかく何度見返したところで、どれだけ見た目が美女で、そこにささやかなバストがついていたところで、彼女をそういう対象としてみるスイッチは微塵も入らなかった。
 世界には動物を性的対象とするフェティッシュな人種がわずかながらいることは知っているが、それにしても彼女はイレギュラーすぎる。
 そんなことを考えながらも、彼女がアヒルに夢中になっている間に、体についた魚臭いどろどろを流して、そそくさと脱衣所に出た。どうしてマイルームの風呂を使うのにこんなに肩身の狭い思いをしなきゃいけないんだ。
 はぁ。
 ため息をついて、下着とスウェットの上下を身につける。部屋には相変わらず潮を交えた生臭いにおい。これじゃ食欲もなくなる―—というわけにはいかず、しっかりと腹は減っていた。そこは健全な男子大学生の悲しいところではある。
 仕方なく、さすがに魚はたべる気にならなかったので、ささみの缶詰を使った野菜炒めを適当に作った。オリーブオイルとトマトペーストを使うとそれなりの味わいで、美味しかった。香りは台無しだったけど。
 しかも冷蔵庫が昆布で占拠されているので、僕の食料は常温にさらされている。冷房を入れているとはいえ夏の気温は油断ならない。卵とレタスは早めに食べなければ。って、もう完全に僕の生活が犠牲になっているじゃないか。
 もう、手間がかかるし、わけがわからないし、迷惑でしかない。でも引き受けたからにはやり遂げるしかないのだ。そもそも先輩のお願いは断れない。先輩には大恩がある。
 先輩はあのノリで一部上場企業に勤めていて、彼の口利きでそこの就職が決まったようなものなのだ。だから、真夏だというのに喪服みたいなスーツとバッグで汗をかいて足を棒にして面接行脚をしなくてすんでいる。親も大喜びだ。とてもありがたいことだ。ラッキーだ。
 だから、「一週間」くらい。
 お世話になった先輩の頼みだし。
 たった一週間だし。
 そう思って、引き受けたのが運の尽きだ。
 棺桶じみた発泡スチロールの荷物を抱えた屈強な配達員二人を思い出す。朝早く、爽やかに暑苦しく汗を光らせながら、白い歯をむき出しにして「おっとどけものでーす!」
 なんでこの運送会社の誰も彼もが起きたその瞬間から太陽が絶頂だぜ!みたいなテンションで配達をしてくるのだろう。寝起き→チャイム→「おっとどっけものでーす!」のコンボでかなりHPゲージが減った。ついでにMPも削られた。

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