小説

『紅葉かつ散る』鹿目勘六(『一房の葡萄』)

「有難う。自分の夢の実現のために高校で頑張ってね」
 万感の思いを込めて言った。
 京子に続いて、席順に話をする。
 その都度冴子は、感謝と励ましの言葉を返した。
 その中で森山辰雄は、こんなことを言った。
「京子の言う通り確かに先生の黒板に書く字は達筆で綺麗でした。でも僕が見ていたのは先生の指でした。綺麗な指から綺麗な文字が生まれる、とウットリしながら見ていたのです」
 少し照れながら、告白した。
 他の何人かの生徒からも共感の声が上がる。
 冴子には、無神経そうに見える男の子がそんな所まで見ていたとは、信じられなかった。
 一通り各人の話が終わると、後は冴子への質問攻めだった。
「どうすれば字が上手く書けるの?」
「何故、先生になったの?」
「高校生活をどう生きれば良いの?」
「退職後、毎日何をしているの?」
 等々、矢継ぎ早に訊ねられ、冴子は丁寧に答えてやった。生徒の間からも、自分の考えを披露する者もいた。和気藹藹とした談論風発となり、気が付くと二時間を優に過ぎている。
 京子は、時計を見ながら
「まあ、もうこんな時間。そろそろお暇しなくては」
 と皆に声をかけた。
 冴子は、折角の機会だから晩御飯でも一緒にと誘ったが、京子達は遅くなると母親が心配するからと固辞した。
 冴子は、それならば少し待って、と言って部屋を出て行った。
 そして手に何かを持って帰って来た。
「今日は有難う。そして高校入学おめでとう。皆さんのこれからの人生の幸多からんことを祈って色紙に認めておきました」
 その色紙には、流麗な字体で生徒毎に名前と一言、そして俳句が認めてあった。

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