小説

『紅葉かつ散る』鹿目勘六(『一房の葡萄』)

 母の話は、途切れるとまた同じことを始めから繰り返すようになり、次第に脈絡のない話へ飛んだりするようになった。
 それでも娘と話をしていることが、本当に嬉しいようだ。この顔を見るために無理をしても母に会いに来る。
 母の話が堂々巡りになり始めると冴子は、昔の畑作業の思い出を話し、野菜の作り方のコツなどを聞いてみる。
 すると母は、一段と饒舌になり、土作りや草取り、防虫のことなどを話してくれる。父が亡くなる直前まで昔ほどではないが、畑の仕事をしていたのだ。元気になったらまた遣りたい、と言う畑作業のコツを娘に嬉々として伝授してくれるのだ。
 そのような母の言葉に「野菜は作業する人の足音を聞いて育つ」と言うものがあった。痴呆が進んで来ても、永年の労働により身をもって体得した知恵は、素晴らしい言葉となって口を衝いて出て来るのだ。
 冴子は、このような生きていく上での知恵をもっともっと母より受け継いで行きたいと願った。
 その時間は、未だタップリあると思っていた。
 しかし母は、二年後、呆気なく亡くなってしまった。
 その日、朝から熱が高いので兄嫁が病院に連れて行ったら、流行りの風邪と診断され入院させられ、その次の日の朝に息を引き取ったのだ。
 冴子が、学校から帰ったら兄から母が風邪で入院した、と電話があった。母が入院するなど初めてのことだったので不安が胸にこみ上げて来たが、頑強な母のことなので直ぐに回復することを信じた。
 それからしばらくして再度兄から母の病状が急変した、との電話があった。
冴子は、この事態になっても母が死ぬことなど考えられなかった。それに三年生を担任し受験日を明日に控えていた彼女は、自分の仕事を優先せざるを得なかったのだ。試験が終わってから見舞いに行こう、簡単には死ぬような母ではない、と自分に言い聞かせていた。
 そう判断してからも冴子は迷っていた。明日の試験日を恨みながら、悶々として朝を迎えた。
 学校へ出勤しようとしていた慌ただしい所へ兄から電話があった。今しがた母が亡くなった、と言う声は震えていた。
 それを聞いた冴子は、愕然として声が直ぐに出てこない。高校入試の試験が終わったら駆け付ける、と絞り出す声が涙で擦れている。
 茫然としている暇もなく、冴子は、今から成すべきことを混乱した頭で必死に整理している。
 まず校長と学年主任に報告し、当面対応すべきことをお願いしよう。
 そして受験生達へは、普段と変わらない表情と態度で試験へ送り出そう、と決めた。

 父の死に続いて母が亡くなってしまった。冴子の心にポッカリと空洞が開いた。そこから寂しさと虚しさが噴き出して来る。

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