小説

『紅葉かつ散る』鹿目勘六(『一房の葡萄』)

 高校生になっても国語は学校でもトップクラスの成績であり、その自信が他の科目の成績向上へもつながった。
 先生は、大学への進学を薦めてくれた。経済的に恵まれなかった両親は、兄も姉も高校しか卒業していないことを理由に難色を示したが、最終的に授業料の安い県内の国立大学に入ることを条件に進学を認めてくれた。
冴子は、その大学の教育学部を受験し難なく合格した。両親の経済的負担を少なくするため育英資金と自宅通学による学生生活を始めた。
 大学では、入学早々に文芸部に入り詩や短歌、俳句などを研究した。
 この部には、他の学部の学生もおり、部活は冴子の青春の場となった。
 そして部活を通して後で結婚することとなる横田樹生とも出会った。
 充実した学生生活を満喫して、卒業後は県内の中学校の教師に採用された。
 当初の赴任地は、辺地校や出産する教師の代用であったが、四年後には、県庁所在地の学校の正規の職場へ配属され、国語を担当した。
 それからしばらくして県内の会社に勤めていた横田樹生と細やかな結婚式を挙げた。冴子が、二十八歳の時である。末娘の結婚を父と母は心より喜んでくれた。その満面の笑顔を見て冴子は、初めて親孝行をしたと思った。
 結婚をしても教職を続けた。共稼ぎの生活は、時間的にも肉体的にもきつい時があったが、冴子は充実していた。
 両親は、孫の誕生を心待ちにしていた。遭うたびにそれとなく言われ続けたが、十年が過ぎても期待に応えることは出来なかった。
 そして冴子が、四十の坂を越えた頃、父は交通事故で亡くなった。飲酒運転の犠牲になったのだった。未だ七十五歳だった。大きな病気もしない父であった。そのような父は、まだまだ長生きするものと信じていただけに、突然の死が信じられず加害者を恨んだ。
 子供以上にショックだったのは、母だった。頑強で気強だった母が、精神的に憔悴し肉体的にも一気に老いを感じさせるようになり床に伏すことが多くなった。
 実家を継いでいた兄の敬一と嫁の佐和が、その母の面倒をみていた。
 それでも冴子の所へ時々電話を寄こすようになった。娘に話しを聞いて貰いたいのだろう。冴子は、土日を利用して可能な限り母の顔を見に帰った。近くに嫁いでいる姉の純子も時折母のもとを訪れ、母の様子を報告してくれた。
 純子は、父の死後、母は急に老化と痴呆が進んだ、と言う。冴子も確かにそう感じる。佐和からは、「財布から金を盗んだ」と度々言われている、毎日身の回りの世話をしているのに、あの物言いには辟易する、と愚痴られる。
 冴子が訪れると、満面の喜びを表して話しかけてくる。それをウンウンと言いながら聞いてやるのが、今の自分に出来る全てと思って優しい聞き手に徹する。

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