小説

『紅葉かつ散る』鹿目勘六(『一房の葡萄』)

 先生を辞めて二年、冴子の責任など問題にする人はいないだろう。
 しかし、人を育てると言うことは、生徒に関わった全ての人達の責任だと思っている自分がいる。
 そのような気持ちを、春の畑作業で紛らわそうとしていたのであった。
 冴子は、陰ながら見守って来た生徒達からようやく解き放たれたような気がした。それは寂しくもあるが、自分自身の新たな出発点であるように思えた。

 山田冴子。六十二歳。二年前に教員を辞めた。
 畑を十坪ほど借りて、土弄りを始めた。
 周りには退職後の運動不足を解消するため、と言っているが、それは体の良い口実に過ぎない。
 心の何処かで小さい頃に見ていた母の後ろ姿が巣食っているのだ。
 もっとも冴子の母の扱っていた田畑は先祖から受け継いできたもので合わせて一町歩ほどあった。だから朝から夕方暗くなるまで働いていた。繁忙期や休みの日には、夫や家族の力も借りたが、それ以外は一人で守っていた。耕して種を蒔き、草を取り肥料をやる。これらを女の手一つで行い、収穫した物を売り生計の一部にしていた。子供の頃の冴子も、そのような母の手伝いを良くしたものだ。それは母の苦労を少しでも減らしたい、との一心で行ったものだった。作業をしながら母と色々なことを話した。それは三人兄弟の末子であった冴子が忙しい母に甘えられる貴重な時間だった。
 家を離れて教職に永く就いていた冴子には、畑作業など過去の遠い思い出に過ぎなくなっていた。
 それでも歳を重ねて来ると、亡くなった母を堪らなく恋しく想う時がある。
 そして職を辞めてから十坪ばかりだが、畑を借りた。半分は花、残りに野菜を昔の記憶を頼りに育てている。僅かな面積だが、夏の草が繁茂する時期になると、除草作業は肉体的に負担になった。それでも続けているのは、冴子の中に流れている母の血が駆り立てるからだろう。
 そしてもう一つの理由は、農作業の中に俳句の材料を見つけたいからだ。
 蒔いた小さな種から芽が出て、成長して行く様は、悠久の自然の営為を感じさせてくれる。そこには俳句の素材に溢れていた。さらに収穫して食べる時の喜び、農作業の苦労を忘れさせてくれる。これも俳句になる。
 このように毎日畑仕事を楽しみながら、そこで見たこと、感じたことを俳句と云う小品に纏めてゆく。
 そうして作った俳句を退職後に所属した俳句の会へ投稿するのだ。
 その会の支部の句会は、月一回開催されている。句会へは、七句を投句するのだが、それを作ることに日々汲々としている。
 投句された俳句から句会の参加者が良いと思うものを八句選句する。

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