小説

『熱海の魔女』伊藤なむあひ(『ヘンゼルとグレーテル』)

 いったい誰からだろうとその手紙マークのアイコンをクリックしてみると、差出人は『ヘンゼル』でした。驚きながらも内容を確認してみます。

「こんにちは、ヘンゼルです。はじめましてなんですが不思議とあんまりはじめましてな気がしませんね(笑)魔女さんのことはアップしている写真とかを見てセンスの良い素敵な方だなあと思いながらも声を掛けられずにいましたが思いきってDMしてみました。魔女さんって熱海に住んでらっしゃるんですよね?実は明日から、会社の研修で熱海に行くのですがもし良かったら夕飯でもご一緒しませんか?明日から三日間滞在しています。お返事待っていますね」

 どうやら『ヘンゼル』はわたくしのGritterのプロフィール欄まで読んでくれたようです。急すぎる出来事に戸惑いつつもこのチャンスを逃すまいと、はやる気持ちを抑えてキーボードに指を置きました。さて、どうしたものでしょうか。この文章から分かることはみっつ。『ヘンゼル』が会社員だということ、『ヘンゼル』が熱海に来るということ、そして『ヘンゼル』が好ましい人物だということです。
 ぼんやりと、『ヘンゼル』のことを思い浮かべました。清潔感のある短髪で、涼し気な目元とスッと通った鼻。薄いグレーのスーツが似合う二十五歳……そこまで考えて頭を左右に振りました。どうもわたくしはすぐ、こういった自分に都合のよい妄想をしてしまう癖があるのです。わたくしが『ヘンゼル』に会いたいのはしきたりがあるから。そう自分に言い聞かせ妄想を振り払います。パソコンの画面に目をやるとまた通知がきています。『グレーテル』からの返信でした。

@majo_in_atami めちゃ美肌じゃないですか~!もうっ、この美肌魔人(?)めっ!おい誰かっ、急いで毛穴の野郎を呼んでこい(怒りマーク)ちっきしょ~、さっきの画像は保存してめちゃくちゃ(???)にしてやるんだからっ!

『グレーテル』はこのように、精神が落ち着いているときは元気でかわいらしいコなのです。そう、精神が落ち着いているときは。そうでないときはひたすらダウナーでサタニック(?)な彼女の呟きが画面を埋めていくのです。わたくしは少し迷った末、先に『ヘンゼル』への返信を先に行うことにしました。心のどこかで、先に『グレーテル』へ返信していることが『ヘンゼル』に分かってしまうと心証が悪いのでは、との考えがあったのかもしれません。

「ヘンゼルさん。DMありがとうございます。魔女です。お互いフォローしているからでしょうか、ほんと、不思議とはじめましての感じがしませんね(笑)はい、魔女は熱海に住んでおります。熱海は良いところですよー。夕食、ぜひご一緒したいです。ふだんあまり他人と会うことがないので会社のお話とか聞いてみたいです。そうそう、魔女が住んでいるのはあいにく森の中でして、それでもよろしければいらっしゃいますか?大丈夫なようでしたら熱海駅からの公共交通機関のご案内もさせていただきますね。」

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