そのとき、百瀬の背後から怒鳴り声が響いた。慌てて後方を振り返ると、一人の老人が彼の方に迫っていた。少し腰を屈めているが、足取り自体は軽い。その手には鎌が握られ、高く振りかざされている。陽光に反射して、その刃が鋭く光る。
「いや、ちょっと川で洗濯をしようと・・」
百瀬は両手をあげ、自らに抗戦の意思がないことを示す。
「そんなことをして良いわけがないじゃろ!みんなの川じゃぞ!良い年して、そんなことも分からんのか!」
いまだ高く振りかざされた鎌が、今にも百瀬の脳天に振り下ろされそうだ。
「・・いや、本当にすいませんでした。洗剤は地球環境に悪いと思ったのですが・・」
百瀬は自らの無罪を主張するように、薬用石鹸を強調させる。
「なんだろうと駄目なものは駄目なんじゃ!」
相手の圧に押され、百瀬はただ頷くことしかできない。
「うちの家内も洗濯機で洗濯しとるよ。今時ね、川で洗濯する人間なんていないんじゃ!」
「すいません。ただ、別に僕も川で洗濯をしたいわけじゃなくて・・」
百瀬はすでに濡らしてしまったワイシャツを絞りながら言う。余計、荷物が重たくなってしまった。なんだか気が滅入る。
「本当に今時の若いもんときたら」
老人はその後も、ぶつくさと百瀬に説教を続けた。最初はそれを殊勝に聞いていた百瀬だったが、段々と苛々してきた。
「でも、お爺さんもねえ、そんな物騒なものを振り回しちゃいけないですよ。ここには、子供もたくさんいるわけだし。昔は良かったかもしれないですけど、現在はいろいろな目が厳しい世の中ですから。下手すると、捕まっちゃいますよ」
そして百瀬は負けじと、老人に苦言を呈した。
「いやいや。草を刈っているんじゃから。しょうがない」
老人は腹を立てるわけでもなく、穏やかなトーンで言う。
「え」
百瀬が周囲を見渡すと、そこらじゅう雑草が繁茂していた。それから詳しく話を聞けば、この老人は(無償で)定期的に河川敷の草刈りをしているのだ、という。しかも、ここだけではなく、地元の山の芝刈りなんかも(無償)で請け負っており、地元ではちょっとした英雄として崇められているのだ、という。
「・・なんか失礼なこと言ってすいませんでした」
百瀬は深々と頭を下げた。ご老体に鞭を打ち、ボランティア活動に勤しむ老人に比べ、まだまだ元気な自分は何をしているんだ、と自らを恥じた。