小説

『首なし姫は川を下る』伊藤なむあひ(『人魚姫』)

「最初は一年の誰だかが見たらしいよ。この公園のどっかの茂みで白いドレスを着た首なし死体がのたうち回ってるところ。もうさ、恥ずかしいからやめてよそういうの」
『恥ずかしいってあんた』
 姉が、なんていうんだろう、漫画的表現の怒りマークみたいのを連打してくる。
「だって姉さんが死んだこのタイミングで首なし姫なんて出ちゃったら、そりゃ首なし姫と関連付けようとする人が出てくるわけだよ。知らない上級生に訊かれたんだよ、ねえねえ、首なし姫ってもしかして君のお姉さんなのって。まあ実際そうだったんだけど」
『なにさ、わたしだってなにも好きでのたうち回ってたわけじゃないわよ。目が見えなくて、そんで地面はぬかるんでるでしょ』
 またも怒りマーク。スマホの振動は止まらない。
『起きては転び起きては転びしてただけ』
『ああもう、思い出すだけで腹立つわ』
『って誰が首なし死体よ』
「いや姉さんでしょ」
 視界の端で動き続ける姉の親指をぼんやり見ながら、僕は何か違和感を覚えそしてすぐにその正体に思い至った。
「姉さん、こんなにおしゃべりだったっけ」
『あら十五年の付き合いの姉に向かってそれ?姉さん悲しい』
『確かにわたしほとんど喋らなかったけど、文字にすると饒舌なのよ』
『まああんたは知る由もないけどね』
「そりゃ知らなかった」
 特にそれ以上言及する気にもなれず、立ち止まり姉の方を向く。
『あんまじろじろ見ないでよ』
「なんで分かるのさ」
『分かるわよ、姉だもの』
 手を離し、少しだけ後ずさる。姉の左手が僕の右手を探して空をきる。それは前に何かのミュージックビデオで見た怪しげな振り付けみたいだった。ややあって姉は諦めたように動きを止めたので、僕は改めて彼女の姿を見る。
 真っ白だったドレスはほとんど茶色に染まっていて、そこから伸びる病的に青白い手足ももちろん泥だらけ。首から上は最初からそうだったかのように何もなく、切断面にはきれいな皮膚が肩のそれと同じくらいの張力でしっかりと貼られていた。

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