小説

『首なし姫は川を下る』伊藤なむあひ(『人魚姫』)

 しかしまあ、頭部がないという普段見慣れないそのバランスがどうにも気持ち悪い。立ちくらみのような感覚を覚え視線を姉の足元にやると、あることに気が付いた。
「あのさあ……自分裸足じゃん」
 ついつい呆れたような口調になってしまう。
『うるさい』
「うるさいって……」
『ドレスは買えたけど靴にまで頭がまわらなかったのよ』
 ばかだなあ、と言おうとして止めた。このドレスを買うために、何年も前から姉が小遣いを貯めていたことを思い出したからだ。この歳なら欲しいであろう様々なものを我慢して。
 コンビニすらないこんな田舎ではアルバイト先も少なく、姉は友人のツテを辿っては繁忙期の農家や旅館の手伝いをしていた。年賀状の配送も。そっちの方が時給が良いからと、仕分けでなく配送を選んだのだ。正月の姉は、服も肌も真っ白にして嬉しそうに帰ってきた。
「まあいいけどさ。ガラス片とか踏まないでよ」
『予備の靴とかないの?』
「そこまで準備よくないよ」
 前へと進む姉のつま先の動きが少しだけ慎重になったような気がした。
「そうそう、訊きたいことは色々あるんだけど」
 この時点でLINEの画面では姉が何か入力していることを表示していた。
「姉さんさ、何で生きてるの」
『だよね』
 即座に届いたメッセージには笑顔で親指を立てているイラストが添付されていた。
 僕と姉はあたかもそれが自然であるかのように再び手を繋いで歩き始めた。
 アヤメ川公園に響くのはときたま吹く風と、遠くから聞こえる鳥の鳴き声と、葉の擦れる乾いた音。それから僕と姉が歩く度に鳴る、ぬかるんだ土が空気を含んだときの『ぶちゅり』という不快な音だけだった。
「ねえ、死んでるってどんな気持ち?」
『ん?』
『んー、そうね』
『全然分かんない』
『そもそも死んでるって自覚あんまないしね』
『首が無いから、目が見えなくて、歩きにくくて、』

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