小説

『首なし姫は川を下る』伊藤なむあひ(『人魚姫』)

 飲み込んだはずの言葉は喉を這いあがるようにして僕の口からゆっくりと出てきた。
「僕で良ければ殺そうか? 彼ぴっぴ」
 我ながら狡い性格だなと思った。自分がしたいことすら他人を理由にしないと言えないなんて。醜い。そう思った。
 顔のない姉の表情は読み取れず、僕は姉の親指の動きが止まるのを待った。
『あー』
『別に』
『あんたに殺してほしくはないかな~』
 スマホに表示されたその文字を見て、僕は姉に気付かれないように落胆した。緑と茶色と黒だった視界は、いつの間にか黒が多くなってきていた。
『そうそう、こっちからもいっこ質問』
「なにさ」
 姉はたぶん、話題を逸らそうとしたのだと思った。
『なんでわたし、あんたの声が聞こえてるの?』
「え?」
『最初さ』
『最初っていうのは死んで、生きて、最初』
『何も聞こえなかったんだ』
『ザーっていうノイズみたいのが遠くから聞こえるだけで』
 僕は答えない。姉の親指は動き続ける。
『でもさ、さっき』
『こうやってあんたが来てからは耳が聞こえるし』
『まあ音は遠いけど。あと匂いも少し。森と水の匂い』
『なんだろうね。電話の親機と子機みたいなものなのかな』
『わたしとあんた』
 僕は笑った。顔の筋肉の動きの音が姉に聴こえないよう、無音で笑った。
 そんないいもんじゃなよ、言いかけてやめた。だって、僕が姉の首を持ってるというだけなんだから。押入れから引っ張りだした僕のリュックの中に姉の首が入っているというだけなんだから。
 だけど僕はそのことも姉に伝えず「そういうもんかもね」とだけ言った。
「なんだかんだ姉弟だからね」とも。

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