小説

『白昼カワイイ』柿沼雅美(『白昼夢』)

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 教室にはじんわりと日溜まりが広がっています。
 友達は私のことをごく普通の子、と言うでしょう。
 私がいつか警察かマスコミに捕まって、見慣れた制服の子たちが数人立ったまま首元だけテレビカメラにさらされて、大人しくて普通の子、特に非行とかそういうのは聞いたことが無い、とか。思いやりがあって優しくて友達は多くはないけれどいじめられているようなことも見たことがないので驚いています、とか。そんなことを神妙な顔で、でもちょっと抑えきれない好奇心を口元にたたえて、話してくれるといいなと思います。
 どこかの頭の悪い大人は、オカルティックな深夜のアニメが好きだったそうですよ、などと言い出すかもしれないけれど、そんなことが理由になるわけがありません。
 それに私が何かしたわけではないのですから。
 私は生まれながらにして母親というものを知りません。捨てられたわけではなく、出産直後に母親は亡くなってしまったと聞きました。母方の祖父母もとうに他界していたので母のことを話してくれているのは父だけでした。
 父は公務員でとても真面目に長年働き、私を私立の女子校に入れてくれるまでになりました。私の進学を父はとても喜び、母に報告しなくちゃと言ってどこかへ出掛けていったのを覚えています。そうです、私に嬉しいことがあるたびに父は報告をしに行き、私に悲しいことがあると察するたびに相談に行っていました。
 私は、母親の墓にでも行っているのだと思いました。母親の墓はずっとずっと田舎の奥のほうにあると聞いていて、周囲に泊まるところもないので一度も連れていってもらえたことはありません。現に父は母のところに報告に行くと言った朝は、会社に有給休暇をとって、夜遅くまで帰ってきませんでした。
 私には、母が私の入ったはちきれそうなお腹を持ち上げるように両手を添えている写真を何枚ももらっていて、何かあるときには、私はその写真に語りかけることにしています。お守りみたいなものですね。かわいいですよね、子供の頃にぬいぐるみに話しかけたり、大好きな友達とお揃いのものを肌身離さず持って大事にしていたことがありませんでしたか? それと同じような気持ちになります。だから私にとっての母親というのは、写真の中にいながら、いつも見守っていてくれる、大空や海や道に咲く花やうららかな春に咲く桜、そんな全ての存在なんだと感じていました。
 ほら、少し前に全国民が涙した、お墓の中になんていませんという歌とか、国民的アーティストが発信した、海に散骨したから墓参りなんてどうすればいいのか分からないけどあえて言うなら海に向かって祈る、ってことがあったじゃないですか、そんな気分です。

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