少しばかり前のことだ。桃から生まれたという一人の青年が、人々を苦しめる悪鬼を退治し、一躍英雄としてその名を世に知らしめたのは。青年は鬼のもとから宝を持ち帰り、鬼に苦しめられてきた村の人々にもそれを分け与えた。まさしく、伝説として語り継がれるであろう美談。それが人々の知る、勇敢で心優しき、桃太郎という青年の物語だ。
ただの物語ならば、これで、めでたしめでたし、と終わるところ。しかし、桃太郎だって一人の人間だ。それからの未来だってあるし、普通の人間と同じように悩んだり、苦労したりすることもある。人生という物語は死ぬまで終わりはしない。
鬼との壮絶な戦いの後、桃太郎は訪れた平和を謳歌しながら、気ままな生活を送っていた。力があるとはいえ、もともと争い事を好むたちではない。平凡な生活に物足りなさを覚えることもなく、静かに慎ましく暮らしていた。
しかし、そんな生活の余裕は、様々なことを考えさせる時間にもなる。いつしか桃太郎は、あることで悩むようになっていた。
――自分は一体何者なのだろう?
これまでにも疑問を抱いたことはあった。桃から生まれた桃太郎。子供の頃はそれで納得もできていたが、大人になってからは違う。人が桃から生まれてくるなんて、そんな馬鹿げた話を素直に信じられるわけもない。あるいは、自分は捨て子か何かで、義理の両親は優しさから嘘をついたのではないか。そんなふうに考えてしまうのだ。
縁側に腰かけ、物思いにふけるように遠くを見つめる桃太郎。そんな桃太郎のすぐそばで、どこからともなく声がした。
「最近いつもそんな調子だなぁ。悩み事があるなら聞くぞ。戦場で背中を預け合った仲ではないか」
声の主は、桃太郎の足元に寝転がっていた。一匹の犬。かつてキジや猿と共に、桃太郎の鬼退治に協力した、あの犬である。もともと野良犬であった彼は、鬼退治の後、ちゃっかり桃太郎の家に住み着いていた。今の名を次郎という。
「……次郎、起きていたのか。まあ、自分がどこから来た何者なのか、少し考えてしまうことがあってね」
桃太郎が心情を吐露すると、次郎は寝転がったまま、うむと頷く。
「そうか。分かるぞ。俺も同じだからな」
「次郎も?」
桃太郎が驚いて聞き返すと、次郎はすっと立ち上がり言った。
「そうとも。鬼と戦ってからというもの、時々思うのだ。俺は犬ではなく、実は狼なのではないかと。熱く騒ぐ血があってなぁ」
次郎は狼を意識しているつもりなのか、奇妙なポーズをとっている。そういえば、次郎はこういうやつだった。桃太郎は冷めた眼差しで傍らの犬を見つめると、再び視線を遠くの景色へ戻し、静かに言った。