ずっしりとした二重のカーテンを抜けると、見上げるような天井にシャンデリアが輝いていた。客席は百五十ほど、ほかに二階席もある。芝居小屋として使われた明治の名残りで檀上は回り舞台のままだった。客席の左後方には石造りの階段が畝っていた。手すりに流麗な彫刻が施され、草木の曲線を思わせた。
小林が壇上に登り、上映前の簡単な説明を始めたので、さよと賢二はそそくさと中ほどの席に座った。
チラシの女は世界で最も有名な女優であり、映画「ヴロンド・ウィナース」の主人公ヘレンを演じているという。家族を助けるためにキャバレーで歌う女の話だ。本国アメリカでは、四年前に封切られた。小林から、一時間半あるので便所を済ませておくようにと告げられ、二人がカーテンをくぐっていき、ほどなく戻って来た。
すっと明かりが消え、闇に包まれた。
スクリーンの中で、水辺の柳が風にそよぎ、人魚のような女たちが泳いでいた。化粧台の前でウィナースがゆっくりと唇にルージュを引く。なぜか深い赤だとわかった。その姿も艶も、さよをうっとりと夢心地にさせた。ショーが始まり、鎖に繋がれたゴリラが登場するが、その中から突如、細い手が現れ、さよが息を飲むのと同時にウィナースが現れた。艶然と微笑み、歌い始めた。
「美しいな」
見ると、賢二の顔は白銀色に照らされていた。角膜の表面に透明な膨らみができ、すっと筋になって頬を伝い、落ちていった。
「この中になにがあると思う?」
ウィナースを見つめたまま、尋ねてきた。さよは、心に焼き付いたばかりの絵を端から並べてみた。手回しのオルゴール、レースのカーテンやシルクの寝具、壁のポスターのモダン、踊り子が身に着ける大ぶりの装飾品、仕事に出掛けてゆくウィナースのコート、揺れる紫煙、愛らしい女たちの肢体の流線型、ウィナースのキス―。まぶしさともの悲しさを反芻したが、言葉が見つからない。
「空気さ。遊泳や愛することや憎しみや、それに音楽。酔い、自由に踊り、どこへでも行ける。そういう空気でいっぱいだろう」
賢二の声は震えていた。「だすけ美しいんだ」
帰り道、入り日に照らされ、さよは揚々と歩いた。ぶんちゃんと遊んでやらんきゃいけんぞと思うと、いっそう足早になった。
いつもの自分ではない。今はたくさんの残像を持っているのだ。
数年が過ぎた。身を切る烈風とともに冬が来て、年が明け、さよは十一歳になった。