蝉たちが競い合って鳴く炎天の朝。
キヨヱが筒袖と腰巻きの上に前掛けを重ね、手際よく支度を整えた。さよは裸足で土間に下り、棚の上に置かれた母の手甲と脚絆に手を伸ばし爪先立ちになった。小さな背に向かい、
「いい子にしてたすけ、今夜こそ権蔵さんたち来てくれるだろう」
キヨヱが言うなり、さよの薄い眉山がすっと盛り上がった。踵を返し、母の頑丈な腰に飛びついた。キヨヱは、厚い掌で猫毛を撫でてやり、タガラを背負うと、出かけて行った。
今夜はお客さんが来る。さよは、茶の間から寝間に抜けながら奥の裏庭を見やった。小作りの目には十三夜の円みが宿り、平坦な顔の中心からクッと上がった鼻頭に汗がにじんでいる。
庭では、文太郎が杓を手に、鉢の傍でしゃがみ込み、二日前に大道商人から買った金魚を覗いていた。何か囁いて鉢の水を掬い、辺りを歩き回った。杓の口から溢れる水滴がきらめき、ぽったりした足を濡らした。その様子に頷くと、さよは土間へ取って返し、下駄を引っ掛けた。
戸口を一歩出ると、忽ち強烈な日差しに射られて、堪らず目を閉じた。路地の日陰にすべり込み、五軒行った先で立ち止まる。開け放たれた勝手口に立つと、
「ほくろのおばちゃん、今日いい?」
ふわふわと芯のない声で呼び掛けた。奥から、はいよ、昼に来ないとカツが返してきた。
一家が中砂原へ越して以来、祖父母の代からカツの家とは一番の気安い間柄だった。カツは左の目頭の下に濃いほくろがあったので、さよたち姉弟はほくろのおばちゃんと呼んでいた。
風がそよと抜けてゆき、湿った首筋がひんやりした。さよは人気のない路地を弾みながら表通りに出た。道を渡り、少し下って沖の見渡せる空き地に出た途端、潮風が吹き上げてきた。
砂丘を行く菅笠姿の女衆の中にキヨヱを見つけた。今日もまた、顔を上げれば太陽に焼かれ、俯けば熱砂に射られながら日暮れまで荷を繰り返し運ぶのだ。
沖に目をやると、ぽんぽん蒸気がゆったりと往来し、その荷を引き継いだ大小の艀が浜に戻るところだった。さよは、薄藍色をした水平線の端から端まで見渡して、今日はそんでちった緑色も混じってるかや、と呟いた。
昼食後、文太郎をカツに預けて、さよは浜へ出かけた。
久しぶりの底歩きに気が逸った。
普段は文太郎と遊んでやらなくてはいけないし、用事もあったりで、夏休みといえども底歩きはそう頻繁にできない。