小説

『hallacination』霧夜真魚(『赤い靴』アンデルセン)

高速道路を走らせていると「前方で事故発生」とナビが知らせた。ちょうど出口付近にいたため、高速を降りて一般道を走る。何か話さないと、と思うが共通の話題が見つからず、妻は妻で初春の肌寒い時期に、窓を開け放して車窓を眺め、夫を見ようともしない。ふと、木々の間から小さな美しい碧色の湖が見えた。
「うわあ、きれい!見た?」
「ああ。こんな所に湖があるんだな」
「ねえ、行ってみましょうよ」
妻は降りたがったが、夫は躊躇した。辺りは鬱蒼とした木々に囲まれ薄暗く、観光客も地元の人もいない。が、久しぶりに見た妻の笑顔に、車を停めた。

繁みから今にも崩れそうな石階段が現れ、妻は意気揚々と降りていく。夫は木々に遮られ、見え隠れする妻の背を追った。突然、妻の叫び声が聞こえ、驚いて駆けつけた。妻は凍りつき、一点を見ている。その視線の先に、湖に浮かぶ女性の死体があった。うつ伏せで顔は見えず、泥まみれで服装もはっきりしない。だが何よりも異常なのは女性の足だ――くるぶし辺りでざっくり切断され、その両足は赤いハイヒールを履いている。岩場に挟まれて流されなかったのだろう。波に漂う、赤い靴を履いた両足はまるで踊っているかのようだ。
「警察に電話しなきゃ」
妻が鞄から携帯電話を出そうとしていると、夫は踵を返した。
「どこへ行くの?」
「俺たちが通報しなくても誰かが見つけるよ」
「本気で言ってるの?」
「もう死んでいるし、休暇中に関わりたくない」
妻は携帯電話を握りしめたまま、遠ざかる夫の背を見つめた。

森の中にある別荘に着いた頃には、すっかり真っ暗になっていた。キッチンには注文通りバーベキュー用の食材が入ったアイスボックスが置かれている。夫はバーベキューの準備をすると言って庭へ出た。あんな死体を見たのに、平気でいられる夫が妻には分からなかった。
「早く野菜とか持って来いよ」

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