小説

『hallacination』霧夜真魚(『赤い靴』アンデルセン)

庭の方から夫の急かす声が聞こえ、仕方なく、食材をアイスボックスから取出し、カウンターに並べながら、死んだ女性のことを考えていた。殺されたのかしら。それとも自殺?なんで両足を切断されたの?ふと、手にした牛肉のパックを見てぎょっとした。女性の足の断面と赤身の筋だった牛肉がそっくりなのだ。牛肉のパックから血が流れ出て、吐き気を催すと、流し台で吐いた。そこへ、ドアベルが鳴る。
「出てくれる?誰か来たみたい!」
庭にいる夫へ声をかけるが、聞こえないようだ。再びドアベルが鳴り、妻は玄関へ行き、ドアを開けた。しかし、誰もいない。代わりに、赤いハイヒールが置いてあった。まるで今、湖から上がったかのようにびっしょり濡れている。ひっ!と悲鳴を上げた。だが、妻はその赤い靴に憑かれたように、手にとった。次の瞬間、赤い靴を履いた若い女が見えた。若い女は華やいだワンピースを着て、新しいエナメルの赤いハイヒールを自慢げに、妻に見せる。妻は若い女の顔を見て凍りついた。知っている、この女性……誰だったかしら?ああ、なんで思い出せないの?必死に記憶をたどっていると、
「どうした?」と、夫に声を掛けられた。
「これが置いてあったの。ドアを開けたら、そこに。」
手にした赤い靴を見せると、夫はきょとんとして、
「何、言ってるんだ。きみのだろ?」
「えっ!?……私の?こんなの持ってないわ」
「ぼくがあげたんだよ……覚えてないんだ」
夫は自嘲気味に笑う。妻は夫を見た。嘘をついている顔ではない。
そんな……自分の持っている靴を忘れるなんて。妻は手にした赤いハイヒールを見やる。
「やっぱりこれ、私のじゃないわ。それにこんなハイヒール、旅行に持って行かないし」
そう言い返すが、夫はただ肩をすぼめ「用意できたよ」と、庭へ行ってしまった。妻はその赤い靴を玄関前に放置することもできず、下駄箱にさっとしまった。

満天の星空がどこまでも広がっている。夫婦だけのバーベキューは味気なく、かえって寂しさがつのった。一杯のビールで赤くなる夫が、今日は何杯飲んでも顔色が変わらない。
「誰か見つけたかしたら。ニュースでやってるかもしれないわ」
妻が口にすると、夫はそれには答えず「飲みすぎたみたいだ。先に寝る」と寝室へ行ってしまった。距離を縮めるのが目的の旅で、語らうこともないまま一日が終わる。妻はため息をつき、星を眺めた。

1 2 3 4 5 6 7 8 9