小説

『命運』森本悠也(『運命』)

 あきらの大きな声に驚いたらしく、「うわっ!」と女も大きな声を出した。
 心臓が外に飛び出ようと胸を打ちつけてくるのが分かる。
「加藤さん!」女もあの男たちと同じように、そう呼んだ。「どうですか? 良い感じでしょ?」と、女は言う。
 当たり前のことだが、目の前に立っている女が普通に言葉を発する人間であったことにあきらは安堵する。もはや女が自分に何を問うたかは瑣末なことだった。
「――で、どうしてスーツなんか着てるんですか? 初日だからって、そんなにかしこまる必要もないのに」女は訳無く話題を変え、可愛らしく小首を傾げる。
 頭では理解していても相手の姿に慣れない。非常によくできている、というのがあきらの感想だった。切り傷の部分なんて見ていて痛々しいし、縮小した瞳は人間性を喪失させている。履いているジーンズなんかはダメージ加工が施されたクラッシュデニムだと思っていたが、改めて見据えると、売り物としては成立しない程に傷んでいる――車か何かで引きずり回したような……。
「おーい、加藤さーん。聞いてますかー」あきらの目の前で手を横に振る。
「あっ、ごめんなさい。何ですか?」
「なんで敬語なんですか?」笑みを浮かべながら言った。「まあいいや。久保さんに『早く連れて来い!』って言われてるんで、行きましょう」女はあきらの右手首を掴んで引っ張った。
「――ちょ、ちょっと」強引に引っ張られたので、上半身が先に前を行く。
 女は相手構わずリードする。
 二階へ続く階段を躓きそうになりながら、あきらは小走りで後に続く。
 やっと手を放してもらったが、彼女の肩越しに見える光景があきらを困惑させた。
 彼女と同じように血みどろの人間が十人以上いる。愉快そうに会話をしたり、地べたに寝ころんで漫画でも読むみたいに薄い紙をペラペラと捲ったり、顔にメイクを施している最中だったり、と。
 そして、皆がほぼ同時にこちらに視線を向けた。「……お疲れさまでーす」と、生き生きしていない声がちらほら聞こえる。死人のメイクを施された姿から悄然とした口調――とても不気味だった。それに皆が視線を元に戻す中、血みどろの女が一人だけ、あきらに訝しげな視線を向けている。あきらは視線を外し、別のことに注意を向けた。
 この空間は一体何なのか? 小ホールか何かだろうか? 一階の面積を考えると、それくらいのスペースを確保できても不思議じゃない。
「ちょっと待っててくださいね」そう言って、女は小ホールの隅に置かれた段ボール箱五つの内一つを開ける。
段ボールの外側に貼られた紙に文字が書いてあるようだったが、あきらの位置からは確認できない。

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