小説

『テシガワラ社長の止まらない朝』吉原れい(『裸の王様』)

 絶対に自分を曲げない。それがテシガワラ社長なのだ。

 テシガワラ社長が車を踏みつけ、歩いていると、ついにパトカーが走って来た。
「今すぐ止まりなさい!」
 警官の声がスピーカーを通して聞こえる。しかしテシガワラ社長は止まらない。パトカーの車体を踏みつけ、悠然と歩き続ける。
 追ってき来た警官が、テシガワラ社長の体を取り押さえる。しかしそれでも尚、テシガワラ社長の足は動き続ける。その足が、警官の足にガシガシ当たる。痛みに呻く警官が、一瞬力を緩めたその隙に、テシガワラ社長は再び一直線に歩き出す。

 その頃、とある動画投稿サイトで、たったの数分で再生回数1万回を超えた動画が話題を呼んでいた。動画には、車道にできた渋滞の列と、そこに停まっている車の上を歩いているパジャマ姿の中年男性の姿が映っていた。
 その動画を、化粧の片手間に漫然と眺めていた社長秘書は、その奇怪な男がテシガワラ社長であることに気付くと、ちょうど持っていた口紅を、テーブルの上に置かれたコーヒーカップの中にボチャンと落とした。

 「なんで止まらないんだ!」
 運転手たちの怒号が矢の如くテシガワラ社長に浴びせられる。
 テシガワラ社長の前には、長蛇の車の列が出来上がっていた。
「どうして止まらないといけないんだ!」
 テシガワラ社長が怒鳴り返す。
「どこまで歩く気だ!」
 怒っているのか心配しているのかよくわからない問いかけにも、テシガワラ社長は、「そこに道がある限りだ!」と怒鳴り返した。
 気付けば、周りに野次馬や報道陣が集まり、テシガワラ社長の後をついてきた。警察たちは彼らを追い払うので手いっぱいで、なかなかテシガワラ社長のもとまで辿り着けない。

 しばらくすると、通学途中の小学生たちが、好奇心に満ちた表情でテシガワラ社長に寄ってきた。
「おじさん、僕たちが助けてあげようか?」

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