小説

『夢みるピアノ』草間小鳥子(『ピアノ』)

 わたしは紙切れを制服のポケットに突っ込み、おじさんにぺこりと一礼して、早足で門をくぐりました。
 玄関を入り、ぐるりと中を見渡します。螺旋階段と大きな本棚のある、昔ふうの住まいでした。割烹着姿のお姉さんが、スリッパを差し出してくれます。
 「あたしは、さくら」
 ピアノの傍のソファに腰掛け、女の子は言いました。さくらは、きょうはスリップではなく、ドレープのすそが涼しげなサマードレスを着ています。割烹着姿のお姉さんが、淹れたての紅茶を出してくれました。
 緑のにおいの風が窓から吹き込み、ピーチク、ピーチク、と小鳥の鳴く声がします。
 (なんだか、不思議な場所だなあ)
 狐につままれたような気持ちです。しかし、
 「もうすぐ音楽祭ねえ」
 しみじみとさくらが言うので、ここの生徒であることは間違いないようです。
 さくらは、開会式で二年生代表として『幻想即興曲』を弾くことになったのだ、と得意そうに胸をはりました。
 音楽祭、開会式。思い出して、わたしは悲しい気持ちになりました。そもそも、クラスでの居心地が悪くなったのは、わたしが秋の音楽祭で、ピアノ演奏一年生代表に決まってしまったからなのです。
 音楽祭でのピアノ独奏は、花形でした。それぞれの学年でもっとも上手な生徒が、全校生徒とその保護者の前で曲を披露するのです。わたしの通う学校は小学校から大学まである私立の女子校で、中学から新しく入ったわたしは、すでにクラスが小学校からそのままのお友達同士で固まっていることに焦りました。ピアノは得意だったので、すこしでもお友達と話すきっかけになれば、と軽い気持ちで立候補した音楽祭での独奏が、まさかそんなものだとは知りませんでした。なんとしたことかわたしは、小学校からずっとピアノが上手なことで評判の子を、オーディションで破ってしまったのです。音楽の先生がわたしの名前を呼んだ時、彼女をはじめ、そのとりまきのお友達がわたしを見た冷たい視線は忘れられません。それからはただ気が重く、リハーサルでも視線を感じては指がもつれてしまいました。
 演奏に選んだのは、スタッカートの軽やかなドヴォルザークの『ユーモレスク』。お気に入りの曲だったのですが、それはじめじめと暗い『ユーモレスク』になってしまうのでした。
 さくらは、そんなわたしのため息もよそに、身を乗り出します。
 「おなじショパンを練習しているんでしょ、『幻想即興曲』! ね、あたしのも聴いたんだから、弾いてみせてよ」
 「でも、オクターブの緩急がうまくいかなくて……」

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