ピアノの音が響いてきたので、足を止めました。
学校の裏門までの長い道は半分雑木林のようで、青く伸びた竹が飄々と育っています。それもそのはず、もとはどこぞの資産家の裏山だったところを買い取って、いまの校舎を建て増したそうですから。
ピアノの音は、その竹林の奥からやってくるのでした。
不思議です。
林を抜けたところにあるのは、たしか今は使っていない学生寮と運動場、それに手付かずの廃屋だけだったように思うのですが。それでもわたしが音のする方へ足を踏み入れたのは、それがちょうどわたしもお稽古で練習している、ショパンの「幻想即興曲」だったからです。
『緩急をつけて』
と先生に何度直されても、わたしの小さい手は思うようにオクターブを渡れずなかなか合格とならない、難しい曲でした。
(こんなの、即興で弾けるわけない)
つっかかるたび、わたしは下唇を噛みました。
竹林を抜け、ぽっかりと開けたところに現れたのは、はじめて見るしゃれた建物でした。小さなドーム状の屋根に石造りの壁。鉄格子の門が立派な洋風のお屋敷です。外開きの出窓、レースのカーテン越しに、誰かの頭が上下にぴょこぴょこ動いています。鉄格子から中を覗いてみました。
わたしとおなじくらいの女の子です。
長い髪をひっつめ、紺のスカートに上着はスリップ一枚です。ピアノにかじりつくように全身で鍵盤を叩いており、額には汗が浮かんでいるのがわかります。最後の一音が消えるのを待って、わたしは拍手を送りました。素晴らしい演奏でした。
女の子は息をととのえながらこちらを向き、照れ臭そうに微笑むと、スリップ姿のまま窓辺から身を乗り出します。
「ここの生徒なの?」
わたしが口を開くより先に、女の子が言いました。うなずくと、
「何年生?」
一年、わたしが答えると、
「そっか、じゃあ、あたしのひとつ下ね」
女の子はにっこりしました。あなたもピアノを弾くの? と言うのでうなずき、
「ええと、わたしもいま、弾いてるの。『幻想即興曲』……」
と付け足します。すると、女の子はぺろりと舌を出し、
「じゃあ、気づいた?うちのピアノ、ちょっといまペダルが甘いの」