小説

『玉手箱の真意』よだか市蔵(『浦島太郎』)

「いよいよ来月から、うちの子も保育園ですよ」
 午後三時。リビングの中央に置かれたガラステーブルを囲むグレーのL字ソファー。コバルトブルーのレースが細かに描き込まれた白磁のティーセットにはダージリンティーが注がれ、褐色の水面から夏摘み特有のマスカットフレーバーが立ち昇っている。
 稜は香ばしく焼かれたクッキーをつまみながら、息子の新入園を迎える父の心境をトメに吐露した。
「あら、時が経つのは早いわねえ。ついこの前うちに来た若者がいまや立派なパパだなんて。それで、保育園は例のところにしたのだったかしら?」
 例のところとは、稜が住むこの町ではきっての名門私立保育園である。
「ええ、おトメさんに何度も何度も『子どもには最高の教育を受けさせなきゃダメ!』って言われたもんだから、俺もすっかり洗脳されちゃいました」
「まあ、洗脳だなんて人聞きの悪いこと。でも、私も口を酸っぱくしていった甲斐があったわね」
 トメが笑うと、稜は照れ臭そうに鼻を掻いた。
「実際のところ……おトメさんには感謝してるよ、ホント。なにせ俺の周りには子どもの教育に関するアドバイスをしてくれるやつなんて、いなかったから」
「お礼には及ばないわ。亀の甲より年の劫、それともこの場合は老婆心かしら。あ、そうそう、子どもと言えば」
 カップをソーサーに静かに戻すと、トメは足元に置いてあるものを持ち上げようとする。トメも今年で八十歳になる。稜は慌てて席を立ち、トメに代わってそれを持ち上げ、ソファーのコーナーに置いた。先程から稜はそれの存在に気付いていたが、話題を急いても意味の無いことはこの十年で充分に理解していたため、トメに話を振られるまでは黙っていたのである。
 それはミカン箱大の古い段ボール箱だった。
「これは?」
「ふふっ、これはねえ。玉手箱」
 トメは何やら穏やかな表情をして、すっかり皺だらけになった手で段ボール箱を撫でている。
「玉手箱、って浦島太郎の? またトメさん流の冗談ですか。でも、それは中身が気になりますね。見てもいいんですか?」
「ええ、勿論よ」
 ガムテープの剥がされた跡が残る蓋部分を開く。中には子供の写真に、学校の卒業アルバムや文集、絵や工作物等がぎっしりと入っていた。

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