「父は、それから六年後、私が十三歳の頃に死にました。死んだ時の顔は鮮明に覚えていますよ。目を大きく見開いて、口を大きく開けて――何か恐ろしいものを見たかのように――冷たく硬くなっていました。それ、そこの」
私は指で示した。伊藤さんがびくりと身を震わせる。
「窓の向こう側、軒下に、倒れていました。私は報いのような気がしましたねぇ」
そんなわけでして――と見ると、伊藤さんは汗だくで口を結んでいた。
「妹は、父に殺されたんですねぇ。だから、帰って来るとしたらそれは――」
私はまた、閉めた窓に目をやった。
ここは、生者と死者が、人と人でないものが、常に近いところ。なるほど、伊藤さん。妹も、帰って来る、かも知れない。風の烈しいこんな夜には、生きていようが死んでいようが、消えたものが帰ってくる。
「今だって、窓の外から、妹が覗いているような気がして、ならないのです。吹き荒ぶ風に身を晒して、妹がこちらを見ている気がして、ならないのです。伊藤さん、あなたはどうですか」
窓が、戸が、どんどんと鳴る。その衝撃のため、旧いこの家はきしみ、今にも崩れそう。私たちの体は、今にも寒い闇の中へ、投げ出されてしまいそう。
伊藤さんはやるかたなくうな垂れていた。「すみません、すみません」と、繰り返している。少しばかり気の毒だ。もし無事に朝を迎えられたら、少しは優しくしてやろうと思う。
私は残っている酒と肴に手をつける。もっとも、食べても飲んでも、そのものの味は感じない。舌には風の味が残っている。私の意識は、山へ、川へ、原野へ飛んで、その底に、物陰に、うずくまっている輩の気配にすがりつかれる。
伊藤さんにはちょっぴり、隠し事をしてしまった。父を殺したのは私だ。
十三になった私に、父はどういうつもりか、襲い掛かって来たのだ。あの血走った大眼の、真っ赤な頬の、天狗のごとき顔で。私は咄嗟にすりこ木で父を打った。昏倒した彼を、豪雪の中に投げ出した私に、妹や、そして母の、あだ討ちのつもりなどはなかった。ただ夢中で、体を動かしただけだ。私のその本能的な行動、十三の娘に、男を打ち倒し引きずり出す力が出せたこと、それをもたらしたものが、何か人ならざるものの意志なら、そうとすればやはり彼の死は、報いではないだろうか。
ともあれ父もまた、そのように、この土地の、土の底深く、眠るものとなった。
さてさて、窓から覗いているのは、妹か、母か、それとも父か。
仲良く並んで、覗いているのか。