だからなのだろうか。両生類めいた川面。私のイメエジの中で、猿ヶ石は急激にぬめりを増していった。
「しかしまぁ、僕は生きている。なんのことはない」
伊藤さんの顔は、心なしか上気している。赤い顔。
「生きているから人間なのです。死んだ赤子だけが、河童になるのです。それだけのことですよ」
「死んだ赤子は、河童だった、ということになる」
「その通り」
伊藤さんは新しく手酌をする。本当になんのことはない。彼の実父はそもそも河童などではないのだろう。「いずれ、どこぞのつまらない若者だったのでしょう。つまらない男だったから、河童にされたってわけです」
家柄の良い娘。恐らくは許嫁もいたことだろう。結納を控えていたはずだろう。そんな娘が、懐妊した。相手は誰かわからない。近くの村の若者が夜這いをかけたものと推測されるが、誰かはわからないし、きっと娘も口を割らなかった、のだろう。娘がその気なら、見張りや部屋替えなども無駄なことだ。
「母親の父、つまり祖父に当たる男はね、それは立腹したそうです。許嫁の家にも、会わせる顔がない。だから、河童の仕業ということになった」
相手の男を河童にし、生まれたものは河童の子。ならば不義は成立しない。娘は異類に無理やり犯されたのだから。
「危ういところで、召使いの女が、僕を背負って逃げたのです。生みの母が頼んだのかは知りませんが。だから俺はその女を母と育ったし、その女の夫を父と育った。もう、元の家と縁はない」
夜這いの風習があったのは、そう遠い昔ではない。だから決して、珍しい話ではない。それは武勇伝にもなり、艶笑譚にもなり、そして女の事情如何では、悲劇にもなった。
「つまらないと言えばつまらないが、面白いと言えば面白い話でしょう?」
暑いなぁ、と伊藤さんはぼやいた。こちらは寒いくらいだ。私は酒を口に含んだ。甘辛い味が、確かに少しは暖かい。そのまま喉に降ろす。酒が螺旋となって体中にしみわたる。私の頬も多分、朱に染まった。
「でもね」と伊藤さん。
「やっぱり河童はいるんですよ。母親の部屋から、生臭い匂いがしたと言う者もいたそうです。障子に、彼女と交わる猿のような影が映っているのを、見た者もいたそうです。それにね、俺の育ての親は、俺を決して川には近寄らせなかった。寄ればたちまちに河童に戻って、水へ飛び込んでしまうから、そんなことを言い合って……」
だからやっぱり、僕は河童の子なんです、きっと。伊藤さんはそのように締めた。