シャワーを浴びにベッドを出ようとした僕の腕を、彼女は強く引いた。
「何」
「怒らないの?」
「どうして」
「急に田舎に呼び出されて夜中に蜻蛉返りさせられて、しかも事情も聞かされないなんて、普通怒るでしょ」
僕は思わず、まじまじと彼女の顔を眺めてしまった。彼女にも普通という感覚があったのか。
「わかってるならやらなきゃいいのに」
「だから訊いてる。怒ってるのかって」
「別に」
本心だった。僕は何故か彼女に対していつもそうだった、呆れはしても怒りはしない。彼女のあの青ざめた顔を見てしまったあとでは、特に。
彼女は不機嫌そうに顔をしかめた。
「わたし、他に何人も相手がいるんだけど」
「知ってる。急にどうしたんだよ」
「ほらそうやって。そういうの、優しいなんてわたし言わないから。どうでもいいだけでしょ、自分も他人も」
「絡むなよ」
思わず溜め息が出てしまった。いつもの彼女ならこんな面倒なことは言い出さない。ことが済めば文庫本を開いて、気まぐれに僕をからかって、それで終わりなのに。
「じゃあ、教えてよ。どうして怒らないの」
いつもより化粧が薄いせいか、僕を睨む彼女の顔はずっと幼く見えた。僕は何だか急に、世間知らずな少女を見ているような気になって目を逸らした。
「自分でもわからない」
僕は慎重に言葉を探した。
「正直ムカつくときもある。でも結局君を放っておけないんだ、何故か」
彼女はしばらく黙って僕を見つめ、ぽつりと言った。
「そういうところ、大嫌い」
シャワーを浴びて戻ってくると、彼女はシーツの間で丸くなって眠っていた。