小説

『瑠璃色の記憶』本多ミル(北原白秋『あめふり』)

 この日の上映は、ウォルト・ディズニーの名作で「メアリー・ポピンズ」。敬子は、これを見てから、ミュージカル映画の大スター、ジュリー・アンドリュースが大好きになった。
 その帰り道で、小雨のふりだした中を、母とふたりで肩に傘の柄を掛けるようにして、ジュリー・アンドリュースのように斜めに傘を回した。母の傘は、きれいな青紫であじさいの絵柄だ。敬子の傘は、虹と小鳥の絵。傘を回すたびに、雨のしずくは飛び散る。母は、映画の余韻に浸って歌を口ずさんでいる。
「チムチムニィ、チムチムニィ、チムチムチェリー」
 赤い色の長靴を履き、足元の水溜りも気にせずに、敬子はスキップしながら歩く。母も、あじさいの傘をくるくると回している。少し高い位置でしずくが飛ぶので、幼い敬子の顔に雨粒が飛んできた。ふたりともそんなことはおかまいなしに、傘をくるくると回す。水溜りもジャンプした。
 それは、ダンスをしているようなステップ……雨がどんどんと強くふってきた。それでも、ふたりは傘を回してダンスをしている。常軌を逸するような振る舞いだ。
「あめあめ、ふれふれ、かあさんがーじゃのめでおむかい、うれしいな」
「チムチムニィ、チムチムニィ……」
「ピッチピッチチャップチャップ、ランランラン」
「チムチムチェリー……」半分は影、半分は光の部分。屋根の上からの眺めは最高。そんな歌詞が続いたと、ずっと後になって、敬子は思い出す。
 母の傘のきれいな瑠璃色、あじさいの色が変わっていく。それはなぜか…
…じゃのめ傘だ。青紫からどんどんと濃い紫になり、今度はどす黒い赤紫になっていった。突然に振り向いた母親の顔は鬼……般若のような形相で怖かった。
 夢は、いつもそこで覚めた。
 それからなんどかその映画館に行ったのに、いつの間にか母と行かなくな
った。敬子が母親を避けだしたからだろうか。

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