小説

『瑠璃色の記憶』本多ミル(北原白秋『あめふり』)

 こういうことを、悲観的に受け止めていては、こっちもあっちもうつにでも成りかねない。敬子の将来の生活を考えると、真綿で首を締め付けられるようで、その苦渋を味わうことを想像してしまう。
 敬子は母親をどこか冷静に観察し、今度は自分が保護者に成ると思うことで、心の均衡を保っていた。
「お母さん、私が傘を持っていく方だよ。心配しないで」 
 そして、敬子は周りの人や民生委員に助けられ、福祉公社からもケアマネ
ージャがやってきて、母に介護支援がつくことになった。

 そんなある日のこと、敬子は職場を早引けして、母親の薬をもらうために地元の市民病院に行った。
 最寄り駅近くのパン屋さんに入り、敬子は小腹が空いていたので、気分転換も兼ねてコーヒーとウグイスパンを食べた。敬子の耳に、お隣に座っているお婆さんの声が自然と入ってくる。今どきのスマホを器用にマスターしている。
「そうそう、それでね。筋トレに脳トレなんだけど……両方でもいいのよ。とてもいい感じでね、佐藤さんもそしてそのお隣さんも全員が利用してるのよ。年寄りはボケないこととか、足腰の筋力をつけるのが一番でしょ。これが一番大事といっても過言じゃないから。そう? 分かったわ。DVDね、本部に伝えとく。それからね、鈴木さんの家だけど、タクシーでもいいからって言ったけど、おついでにあなたが車を出してくださると、あたしも一緒に参加できて、いいアドバイスができる……」
(なにこれ、アドバイスだってさ。本部! 勧誘じゃない。恐るべし、お元気な婆さん)と、敬子は思わずガン見してしまった。
 超元気なお婆さんが、少し弱っているお年寄り相手に、セールスをするという時代が普通にある。(高齢化……だもんな。私の時代はどうなるのかしら?)と敬子は思った。
 しとしとと静かに小雨のふる中の帰り道、コンクリートの側壁の割れ目から、
懸命にひょろっと、そのちっぽけな黄色い花を咲かせている雑草に目がいった。

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