小説

『瑠璃色の記憶』本多ミル(北原白秋『あめふり』)

 母は生来の一筋縄ではいかない頑固な性格で、こだわりは強かった。それは恐らく子供のころの、戦後のたいへんな体験からくるものだと敬子は理解していた。激動の昭和の時代だ。東京のど真ん中に居た母は、長屋暮らしで、共同井戸で洗いものをしていたそうだ。貧乏生活で苦労はしたが、楽しいこともあったらしい。ALWAYS三丁目の夕日……の世界だ。
 その母親に認知症の兆候が出始めたので、敬子は実家に戻ることにしたのだ。
 敬子は小さい頃、母親が大好きだった。学校で、きょうだいがいる子の話を聞いても、羨ましいとも思わなかった。「私はひとりっ子だから、私ひとりで母親を独占できる。なーんでもしてもらえる」と、思っていた。
 その事情が変わりだしたのが、思春期を迎えたあたり……だ。反抗期は、大抵が「うざい! 干渉しないで」というところから始まる。敬子も同じだった。ただでさえ、ひとりっ子の娘に過干渉の母親だ。今までは、ひとりじめ……なんでも聞いてもらえるという母親がうっとうしい。高度成長時代で、仕事人間の父は家の中のことは母に任せっきりで、娘の進路にも煩くはなかったのが唯一の救いだった。この時代には、よくあるあるパターンだ。
 家庭を守っているだけの母を、社会に出た敬子は、客観的に見て「つまらなくない?」と、非難してしまう。そんな自分も現状は? というと、母のように家庭の主婦にも成れずにいる。仕事もなにをしたいのか分からない。今の自分は宙ぶらりんだと思う。

「どこ、行くのよ」
「隣のショッピングセンターにね、娘を迎えに行かないと! 雨がふりだしたから傘を持っていってあげないとね。少しの距離でも濡れるでしょ」
「お母さん、目の前の私が娘! 傘はなんとかなるし、大丈夫だよ」
 最近は、認知症も進んできたように思う。働いている時にも、敬子の携帯電話が鳴る時がある。
「どうしても思い出さないんだけど、あの、ほら土鍋なんだけど、どこにあったかしら? 敬子が帰ってくるからお鍋しなくちゃと思って……」

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