小説

『瑠璃色の記憶』本多ミル(北原白秋『あめふり』)

(私は、これかも……先が見えないよ。誰かが言った普通? 普通ってなんなの? 普通の娘のふり?)
 敬子はため息をついた。自縄自縛を解いて、もっと自由に生きてもいいのだろうか?
 病院の裏手にあるお年寄りのためのデイサービス。その裏側の道で缶ビール片手に、タバコを地面にポイ捨てする若者。それを、横目で睨みつけながら、もらった薬の袋を提げて敬子は駅に向かった。駅近くには、集合住宅の一角に、市民のための多目的レンタルルームというのがある。ここで、お年寄りのあの筋トレとか脳トレの訓練とか、カラオケや健康教室やパソコン教室などというイベントが行われるのだろうか? そんなところに積極的にどんどんと行ける性格であったなら、母も救われただろうにと考えてしまう。
 そして、敬子はいつものように駅ビルで寄り道をした。エレベーターで4階に向かう。陰鬱な気分で、敬子はエレベーターのドアが開くのを待った。病院のエレベーターと錯覚をしてしまう。敬子自身も、自分の年を考えると、不安定な精神状態にだってなる。占いに頼りたくもなる。
 エレベーターのドアが開いた途端に、楽しそうな笑い声が響いた。
「そうそう、いけるよねー。マジで、ヤバイ!」と、聞こえた。
 女子中学生が4人ほどで降りてきた。敬子の前をすり抜けるときも、なにがおかしいのか、まだキャッキャッ! と笑っている。可愛らしい子達だと敬子は思った。自分にもそんな時代があった。なんでも笑いたい……毎日ハッピーで楽観的で、はちきれそうな若さとパワーのある時代。あの時代に人生の笑いのほぼ全部を、笑ってしまった気がする。
 母親は、最近は不安や猜疑心も強くなり、認知症も進んできているらしい。ケアマネから、「なかなか難しくなってくるので、ホームを予約したらどうか」とも言われている。
 皆、老いていくこと、孤独で死ぬかもしれないことへの恐怖感はあるだろう。だれもが、日常生活では考えないようにして生きている。なるようになるさ……と、敬子もそう思おうとしている。でも、だれにも迷惑をかけず、最後まで人としての尊厳は守りたい。敬子も醜態をさらして、壊れた生きものなどになりたくないと思う。終活をテーマにした本、セミナーとかのビジネスが注目される昨今だ。

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