「だめ。君のことは逃さないよ」
零は壁にドンと手をつき、隙間を塞ぐように寄りかかる。そして隙間を覗くようにして甘く微笑む。女は少し物怖じしたように奥の方へ引っ込み、そのまま隙間の暗闇に溶けこむようにいなくなった。
零は壁から手を離して不思議そうに首を傾げる。それから思い出したようにスーツの匂いを嗅ぐと、少しだけ顔をしかめた。そこにはまだしっかりと焼肉の匂いが染み付いていた。
5
同伴相手との待ち合わせで早めに喫茶店についた零は、営業メールを素早く数件打った。すぐに返信がくる。数度返す。ラインはめったに使わない。既読がつくので延々と続くからだ。だからよほどのことがない限りメールにする。
最後の返事を打ち終えた頃にちょうどスマホが着信を知らせた。素早く相手の名前を確かめると、迷わずワンコールででる。
「はーい」
「……わたしメリー、いま、一番街通りにいるの」
「メリーさん、声が聞けて嬉しいよ」
「もうすぐあなたのところに行くわ……」
「ネオンのとこにいるんだね。道順わかる? もうすぐ会えるね、待ってるよ」
電話はそのままプツリと切れて、ツーツーという音が聞こえた。
零ほどの売れっ子になるとほとんど毎日同伴とアフターがある。車代はもらえるし、いいものが食べられるし、何よりシャングリラで接客するより自由でいられる。零にとって同伴とアフターは良い気晴らしでもあった。
零は営業メールの送信を再開した。
あの手この手で文脈文体を変えて、それぞれ相手の女の性格に合わせたメールを送る。テンプレートを作って無精をするホストもいるが、だいたい売れない。どれだけ必死にメールをしてもすぐに飽きられる。女は勘がいいのだ。だからナンバーワン・ホストは、メールごとに丁寧に文章を考えて打つ。ワンパターンは決してない。