小説

『青い血、赤い鱗』東村佳人(『赤いろうそくと人魚』)

 尾の鱗は、もう半分を塗り粉へと変えてしまっていた。人魚の鱗は、二度は生えない。美しかった彼女の尾も、既に人とは変わらない肌の色をした部分が多く見られた。
 老夫婦の暮らしぶりは豊かになった。食卓に並ぶものは、雑穀から真っ白な純米に変わり、衣替えの時期になれば、服を新調した。彼らには子供がいなかったために、蝋燭の収益は湯水のように使われた。
 でも、あやめの着物の端々がほつれても、彼女が持っている着物はそれ一着だけだった。時折、老媼の古くなった服の切れ端でほつれを直し、慣れない手付きで精一杯針を動かした。
四六時中、絵筆を握った手は、針ほど細いものを握ってもうまく動いてはくれない。指先を裁縫針で突き刺して、一筋の流れる血を見て、自分の血が真紅ではなく、海のような群青をしていると知って、涙をこぼすこともあった。そうでありながらも、あやめは文句の一つも口に出したことはない。
「人間でもないわたしを、可愛がってくださっている方々に、一体何の恨みがあろうか。感謝こそすれ、不平を口に出していいはずもない」
 夜な夜な、遠くにたゆたう海の思いを馳せて、胸が締め付けられることもないわけではない。だのに、それよりも、自分を育ててくれた老夫婦への感謝が強かった。
 湧き起こる郷愁は、絵筆を動かすことで埋めていた。

 むっつ、ぬりてはたちぬため

 毎日毎夜、蝋燭を塗っていると、とうとう筆を握れぬほどに手が痛むようになった。
 虫が指先から這い上がってくるように、じわりじわりと痛み出し、骨を砕かれるような重い力で抑え込まれて、片腕は上げることすらままならなくなってしまった。
 しかして、あやめは、燭台に蝋燭を差して、元々それを握っていた逆の手で絵筆を握った。最初はあやふやで、線がずれてしまい、老媼に叱責を受けた。「おじいさまの仕事を、無駄にしてしまった」と、老媼以上に自身を責めた。
 逆手でも、二十も描くようになると、次第に要領を得て、以前と変わらずに丹精に描けるようになった。
 それからあやめは、絵塗りに一層精を出すようになった。「わたしの至らなさのせいで、お二人の仕事に穴を空けてしまった。わたしのせいで、わたしのせいで――」。まともに睡眠も取らず、ふと思い出したときに、老媼が部屋の前に置く質素な食事を摂り、夜は月明りと、老翁が作り損じた蝋燭を灯して、白い芯を紅く塗り上げた。
 尾の鱗は、もう指折り数えるほどにまで少なくなってしまっていた。

 ななつ、ぬりてはおもかれて

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