パパが起きてきたらさっきまでのことを話そうと思った。エアコンをつけて、着込みすぎた服を脱いで落ち着いてくると急に恐怖に襲われた。あの女はやっぱりなにかを盗んでいったにちがいない。「ねぇ、パパ、起きてよ! お金、なくなってない?」僕はパパの肩をゆすったけど、パパは起きなかった。もう二度と起きなかった。
バケツが傾いていく。水が近づいてくる。水が僕の口に触れようかというとき、セミの声が止んで、声がした。
「ちょっ、待ってよ!」
僕は驚いてバケツを落としそうになった。落としていればよかったかもしれない。でも落とさなくて、バケツのなかから声がした。
「私、まだ生きてる!」
幻覚だと思った。暑いなんてひさしぶりのことだったから僕は熱が出て頭がどうかしてしまったんだと思って、体温を測ってみたけど平熱だった。
「暑い」また声がした。
おそるおそるバケツを覗いたけど、なかにはなにもいなかった。水があるだけだった。
「冷房、つけてよ」
きのうまで聞いていた声だった。
「ユキ?」僕は聞いた。
「うん、だから、冷房つけてよ、ユキオくん。あと、蛇口締めなよ。水道代かかるし」
「あ、はい」蛇口はあっけなく締まる。排水溝に水が流れていくのを無表情で見た。
起動ボタンを押すと、エアコンがぷしゅーといった。
パパが死んだ次の冬、新しいパパとふたりでベッドに寝そべっていると、パッと灯りが消えた。
「わっ、停電かな」と僕はいったが、パパはなにも答えなかった。ねむっていた。
暗やみのなか手探りで、ベッドの下に落ちた毛布を体に巻いて、玄関ドアの上にあるブレーカーを上げにいった。
僕はデジャブに襲われた。いや、デジャブじゃない。一年前と同じことが起こっている。やっぱりその日も記録的な吹雪がこの辺りを覆っていて、僕は嫌な予感がした。あの女がやってくるかもしれない。繰り返されているんだ。おとぎ話みたいに繰り返されているんだ。