「どうして」とユキはいった。「どうして、外に出させてくれなかったの」
「だって、ユキが死んだら、僕はそのうち働かないといけなくなる」笑いながらいった。僕の口からは震えた声が出た。
浜辺ではカップルや子どもたちがはしゃいでいた。みんな笑っていた。バックパックのなかの保冷剤はもうみんな溶けている。
「ほら、海だよ」僕はペットボトルのひとつを胸に抱きながらいった。
「熱い。体が、熱い」
冬がくるとユキはまたお金を取ってきて、僕たちは湖にいって、深夜に遊園地にいったりもして、春からはずっと引きこもった。僕は着込んでも寒すぎる部屋にいるせいでずっと体の感覚がなくて、ずっと下痢で生きた心地がしなかったけど、ユキはたくさん笑った。
「まさか、雪女が夏の海にくるなんてね」
「……」水からは熱にうなされているような、肩で息をする音が聞こえる。
「吹雪の日に突然現れて、パパを凍らせた人とこんな関係になるなんて」
「あの日のことは……喋らないでって……約束……したのに」
ユキが雪女の体を持っていたら、秘密を喋った僕の前からいなくなっただろうか。秘密を喋った僕を殺しただろうか。でも、水にはなにもできない。そう思った。けれど、やっぱり雪女だ。僕の前からいなくなった。
ユキが水になる前の日、きのうの僕たちはなにをしただろうか。特別なことはなにもしていない。雪女が部屋にいることや、ユキが普通の人間といっしょにいることは特別なことだけど、もう僕たちには当たり前のことで、いつの間にか同じような明日が永遠に訪れるのだろうと思っていた。
「やっぱり、海に……流してほしい」水がいった。
「うん」
靴を波に浸しながら、ペットボトルをさかさまにしていく。水が落ちる音は、波の音で聞こえない。