小説

『桃太郎異本集成』森本航(『桃太郎』)

帰りの船は、鬼が島にあった財宝のせいで重くなり、行きより沈んでいるが、その分、むしろ安定していた。桃太郎の傍らには女が一人、彼に身を寄せるようにして立っている。
「助けていただいて、ありがとうございます」
「さて、如何にして助けたのだったか」
 鬼と対峙してから今に至る記憶が、今ひとつ判然としている。助けた、という事実は明確に認識しているのだが。まるで、鬼と向かい合ったところで突然、帰りの船に乗せられたような感覚がある。
「一度に攻めて攻めやぶり、つぶしてしまへ、鬼が島。おもしろい、おもしろい、のこらず鬼を攻めふせて、分捕物をえんやらや」
 雉がなにやら拍子をつけて口ずさむので、それは何かと桃太郎は問う。
「このように桃太郎は、鬼を退治したのです」
「なに、それは本当か」
 おもしろい、などと考えた覚えはないのだが、何せ覚えていないので、そうであったのかもしれないという気がしてくる。雉のほうでは「さあて、どうでしょう」とこれも独特の拍子で言う。
「話し合いをした、ということにしてもいいでしょう」と言うのは犬である。
「話し合いでどうにかなる相手か、鬼は」
「もっとどうにもならない相手が、別のところいるのでしょう。英雄譚も暴力的では、成り立たなくなっているのかもしれません」
 分かったような分からないようなことを犬は言うので、桃太郎は首を傾げておく。
「まあでも」と、傍らの女が口を開いた。
「話し合いをしました、という覚えが無いのなら、話し合いではなかったのでは」
 これは少しもっともであると、桃太郎には思われた。そうして女を見ると、やはりどこかで会った気がする。いつか、こうして傍らに立ったことのある気がする。彼女のほうではどうだろう。何の気なしに、自分の外見のことを思う。眉が濃く、凛々しい顔立ちの好青年である。
「貴女は昔、川から流れてきませんでしたか」
 桃太郎が尋ねると、女は桃太郎の顔を見上げるように見つめ、
「いいえ」と小さく笑った。そして彼女は呟くろうに続けた。
「けれど貴方は、桃太郎のままなのですね」

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