小説

『桃太郎異本集成』森本航(『桃太郎』)

 まさか、と雉は笑った。自分がなぜ議論という言葉を使ったのか、覚えがなかった。
「無論、そうなる」突然、別の声がした。声のほうへ目を向けると、果たして、猿がそこにはいた。
「どうして?」
 尋ねる桃太郎に、猿は相変わらずどこへともなく視線を投げたまま、口を開く。
「それを語るには、余白が狭すぎる」
 何を言っているのか、桃太郎には分からなかった。犬と雉のほうを見ると、彼らも無言で首を横にするばかりだ。質問を変えることにする。
「では、鬼が島とはどういう場所なのだろう」
 不意に、猿が桃太郎のほうを向いた。まっすぐに桃太郎を見ているようで、その後ろの遥か遠くを見据えているのかも分からない。
「誰も私にそれを尋ねないとき、私はそれを知っている。けれど、尋ねられれば、それを知らない。誰も、そうではないかね」
 何を答えればよいかと桃太郎が迷っていると、猿は船の進行方向に目を向け、顎で先を示した。
 見ると、そこには鬼が島があった。

鬼は角を生やし、トラ柄の布を腰に巻いていた。「鬼門は丑寅の方角ですから、それさえあればいいのです」と犬が言うが、これは猿の受け売りに違いない。さていざ向かい合ってみて、鬼は何をしたのか、宝を盗んだのか女を攫ったのか、何を諫めればよいか分からず、桃太郎は「お前らを退治しに来た」とだけ言っておくことにする。鬼たちは桃太郎一行を品定めするように眺めて、嘲笑するような低い唸りを上げた。
 鬼たちの後ろに、人間の女が囚われているのが見えた。女だったか、と桃太郎は思い、しかしその女のさらに後ろに金銀財宝が積まれているのを見て、あれは村から盗んだものに違いない、と判断する。
 囚われた女にもう一度目を向けると、はて、どこかで見たことがあるような気が、桃太郎にはした。許婚とか幼馴染であったろうかと首をかしげ、そういう次元でない既視感である。
それらの思考を振り払うため、桃太郎は数回、頭を振った。とにかく、鬼を退治してから考えればよい。

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