小説

『トウダイモトクラシー』シトフキワイ(『鶴の恩返し』)

――三〇歳の次郎が白鶴荘の大家になる挨拶をすることになった日の前夜、初めて一階の大家の部屋に泊まった。しかし初めての布団と緊張でなかなか寝付けず、気晴らしに散歩でも行こうかと家を出た。すると、そこへ一人の下宿人が帰ってきたようだった。
 午前二時。青年は手にビニール袋を持っており、次郎は自己紹介もそこそこに、コンビニにでも行ってきたのかと聞いた。すると青年は一瞬ためらったものの、元気な笑顔で、ハイ! と答えた。とっつきやすそうな、その人懐っこそうな笑顔の青年が二〇歳の春男だった。次郎は住人の情報を少しでも聞いておこうと「少し、ウチで飲まないか?」と誘った。
「いや、今日は、もう夜中だし、やめときます……」
「若いのに何言ってんの。頼むよ~」
 実は、白鶴荘を継ぐかどうかをまだ迷っていた次郎。
 高校生や大学生から見ると三〇歳はかなりの大人と認識しているだろう。しかしながら、三〇歳になってみればわかるが、実は精神的にも世間から見てもまだまだ若造であり、突然下宿の大家になれと言われた日にゃあ、もう一〇〇%の不安しかないのである。さらに結婚も重なり、それまでのほほんと生きてきた次郎にとっては責任感の重圧が重すぎると感じていた。
 半ば強引に春男を部屋に上げ、父親が残していた缶ビールを出し、色々と下宿人について質問した。
 春男は眠たかったのか、最初は少し落ち着いた表情で話し始めたが、ビールと話が進むにつれて饒舌になり、自分が住んでいる二年間で起こった様々なエピソードを面白おかしく話してくれた。本当に極貧の学生が生き抜いている姿は、申し訳ないが面白い側面がある。
 ティッシュを砂糖漬けにしてガムの代わりにしがんでいる奴、散髪代がないのでカットモデルを美容院に頼みに行ったらモヒカンにされた奴、洗濯洗剤を買えないので全員が置いている洗剤から少しづつ盗んでみたものの調合された香りがとんでもないことになった奴などなど、話は絶えなかった。
 初対面だが、次郎は数時間後には、一〇歳も下の青年に不安な気持ちを打ち明けるほどに親しくなっていた。
 途中、おつまみが切れたので「あ、そうだ」とニヤけた次郎は、春男が持っていたコンビニのビニール袋の中を勝手に覗いた。真新しいタオルが入っていた。
「なんだ、食いもんじゃないのか……って、コンビニなんかでタオル買うのか? 高いだろ」
「ん? ああ、風呂に入ろうと思ったらタオル全部洗濯しちゃってたんですよ……まぁ、仕方ないかなって」
 目の周りを仄かに赤く染めた春男があくび混じりに言う。
ああ、なるほど、と次郎が戸棚の奥を漁ると、賞味期限ギリギリの柿の種が出てきたので解決した。
明るくなった窓の外に気づいた春男が膝をついた。

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