小説

『光の果てに』あいこさん(『竹取物語』)

「キュッ、キュッ、キュッ、キュキュ…」
 ヤモリだ。ヤモリの鳴き声を聞くと、改めてここは実家なんだと感じる。
 二階の部屋は静かに風が通り抜け、月明かりで薄暗い。ヤモリはどこにいるのだろうと、茜は声がした天井角に目を向けた。顔を横に向け、うつ伏せになった状態で、茜はギョロリと目だけを動かした。
 茜が実家に戻って、もう三か月近くがたった。東京の大学を卒業したものの、就職が決まらなかった茜は、卒業後もアルバイト先の靴屋でひきつづき働いていた。こんなにも早く地元へ戻ることになるとは、茜は思っていなかった。
 茜の大学生生活は決して悪かったわけではない。単位を落とすこともなく、成績も悪くなく、アルバイトだって頑張ってきた。就職活動に対しても、決して無関心だったわけではない。大学で行われていた就職活動に関してのマナー講座を受講し、試験勉強も行ったし、企業が行う説明会にも数多く参加した。
 ただ、茜は消極的だった。
 準備はしているものの、肝心な就職試験を受けようとはしなかった。何枚もエントリーシートを用意し、それをクリアファイルにきれいに入れる。その繰り返しだった。友達がどんどん就職試験を受けて、どうにか内定をもらっていく中、「バイトが忙しい」「いまいちピンとこない」などと理由をならべ、結局は1社も受けず、卒業式を迎えた。両親はひどく怒り、実家に戻り地元で働くようにと言ってきたが、アルバイト先が人手不足だと理由をつけ、実家には戻ろうとはしなかった。しかし、そんな言い訳も三か月経ったころには言わなくなった。自分の生活を見越すと厳しくなるとわかってきたこともあったが、たまに連絡をとる大学時代の友人が、社会の一員として、打ちのめされながらも胸を張って歩いている姿を見ることは、茜にとってきつかったからである。同級生たちのSNSの記事も、茜の心にじりじりと現状の違いを見せつけていた。
 茜の実家は田舎にある。両親は共働きで子ども三人を育ててきた。子どもの教育には一生懸命で、自分たちのものを我慢してでも、子どもたちの塾代を払うといった両親だった。茜の兄は二人とも、大学を卒業してあと、大手の会社や公務員となり、その後結婚し、今はそれぞれ子どもが一人ずついる。くすぶっているのは茜だけだった。
 うつ伏せのままの茜はモノクロの部屋の中で、自分だけが別の時間を生きているような気がした。
 目を閉じると、さっきまでは気づかなかった音が聞こえる。草ゼミの鳴き声は、聞こえるか聞こえないかくらいの大きさだが、よくよく聞いていると、なんだか一種の耳鳴りのような、存在感をもちながらも自然と同化しているような音である。耳から離れなくなった草ゼミの鳴き声を消してくれたのは、車の音だった。だんだんと大きくなり、だんだんと小さくなる。車が近づき遠ざかっていくのは音だけでわかる。近くの道路を通過した車の音を聞いて、茜の頭には海が浮かんだ。寄せては返す、波の音。
 茜はある夏の日を思い出した。ほんの出来心だった。

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