小説

『桜の樹の隣には』双浦葦(『桜の樹の下には』)

「サクラは、幹や枝のなかに花びらの色のもとを溜めているそうですよ」
 切り株の根元に成人男性が二人してしゃがみこみ、土いじりをする。証拠物件が掘り起こされたまま放置されていた穴は、だいぶ塞がってきた。
 草木染の一種である桜染には、花が咲く前の枝が使用される。枝には花びらの色のもとがつまっており、花が咲いてしまうと枝からは桜色がとれなくなるそうだ。
 それもネットで調べた知識か。骨ばった手を広げて表面を均しながら、先輩がまた情報化社会の若者を馬鹿にする。
「じゃあ、サクラの木を切ると血が流れだすのか」
「だったら怖いですね」
 切り株からとめどなく溢れ出る赤い液体を想像する。溶岩のように噴出した液体はあっという間に地上に広がり赤い海となり、切り株はだれも踏み入ることのできない孤島となる。
 得体のしれない恐怖が胸を染めなかったのは、職業柄なじみ深いものであるためだろうか。それとも頭から離れてゆこうとはしないタンポポの機構のことからか。
 きっと切り株も、己を守るためにそうするのだ。これ以上傷つけられないように。
 自らの痕跡をすこしでも永く未来に残すため、多くの植物――いや、人間を含め動物も、当たり前のように他者の命を奪う。
 ならば。
 サクラの木を切断した男に、なにごとも起こらなかったはずがない。
 ――桜が、娘をころしたのだ。
 桜は地下の死体から養分を吸うことで初めて見事な満開を見せる。桜自身ももちろんそれを知っていて、だから、娘を死体と変えたのだ。そうして私に埋めさせた。ふたたび花を得るために。妻の遺骨では足りなかったのだ。
 取り調べで男はこう説明した。妻の遺骨を墓から持ち出したのは男本人であった。
 妄想には付き合えないと取り合わなかった捜査員に、男は必死に話し続けた。どんな罪がかかろうと構わない。ただ、これだけは、これだけはわかってほしい。これは私とあいつ、あのひどく貪婪な桜との、事件なのだ。
「非現実的な妄想に付き合ってやれるのは、多感な若者の特権だな」
 馬鹿にした口調にむっとする。先輩は刑事のくせに、ふり、というものをしない。苛ついたときは不機嫌な顔をし、余裕を感じたときは余裕をみせる。馬鹿だと思ったときは馬鹿にする。
「じゃあ、先輩はどうして伊藤が犯人だと分かったんですか」

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